◆屋山太郎『生涯現役の知的生活術』を読み解く


★要旨



★渡部昇一


・頭を良くするために暗記を始める。



・訓練によって増す暗記力。



・そこで私は気づいたのです。

自分がラテン語をだんだん早く覚えられるようになったのは、

勉強してきたのだから当然だけれども、

今は七言律詩の漢詩を簡単に暗記できている。

これは自分の記憶力そのものが強くなったとしか考えられない、と。



・毎朝お経の代わりに歌を歌う。



・私は職業柄ラテン語の暗記を選びましたが、

ラテン語である必要はなく、歌でも良いと思っています。


 



★千玄室、茶道裏千家前家元。


 


・のどの渇きを癒すとともに、心の渇きを癒す茶道の極意。



・知的生活の極意、「人の話を素直に聞く」。


 


★江口克彦



・しかし、松下幸之助という人は、それがなかった。

つねに人の話に熱心に耳を傾けた。

それどころか、積極的に人にものを尋ね、好んで人の話を聞く人であった。



・興味深いことは、

どんな答えをしても否定されることはなかった。

松下への批判も、「なるほど」と聞くほどであった。

だから、誰もが競うように松下に話を持ってきた。



「松下さん、こういう話がありますよ」

「アメリカに行ってきましたが、こういうことがありました」

「某政治家と話をしましたが、こう言っていましたよ」など、

松下が求めなくとも多くの人が、

松下幸之助のところに情報を持ってきた。



・部下に尋ね、部下を育てる。



・松下の知的生活術を思い起こしてみると、

なにも書籍を読み、講演を聴き、

研修に出掛けることだけではないことが分かる。



・しかし、

とりわけ「部下に聞く」「社員に尋ねる」場合は、

自分の知的向上を考える、あるいは、情報を得るということだけでなく、

それに加えて「部下を育てる」「社員を育成する」という意図があったと思う。

ことあるごとに部下に尋ねる、社員に聞く。



・その積み重ねが、部下を、社員を成長させ、

向上させることになるのである。

部下は、社員は、次第に人に頼らず自分で考え、自分で発意し、

自分で思案するようになる。


 


★伊藤隆


 


・岸信介の日記、ナベツネ氏のノート。



・岸信介氏は、僕が今までインタビューした中の白眉というか、

この人はすごいと思った人の一人でした。

岸信介氏は大変頭が良く、オーラもありました。

岸氏には、聞きにくいことが山ほどあるの。



・ですが、すべてを聞き出すことはできないと感じました。

一応、僕も遠まわしにほのめかして聞くのですが、

岸氏は何を聞かれているのかわかっていながら、

ふにゃふにゃとまわり道をしながら、

しかし最終的にはきちんと答えてくれました。

すごく頭の良い人だなと思いました。



・インタビューの極意―相手が喋りたいことを真摯な態度で聞く

 僕にとってインタビューとは、

もちろん研究のためですが、

同時にその内容を速記録として後世に残して役立てようということにあります。



・やっぱりインタビューの時に一番大事なのは、

信頼関係を作ることにあります。

それには、こちらの必要なことだけでなく、

相手が喋りたいことを真摯な態度で聞くことです。


 


★屋山太郎



・「自由を守るためには闘わなければならない」


時事通信社に

入社した当時の社長は長谷川才次氏といって言論界の重鎮だった。



・ある朝、廊下で長谷川社長とすれ違った際、

私は、「社長、私は安保条約賛成論を初めて真面目に聞きました」

と何気なく挨拶した。大学時代に安保反対は聞き飽きるほど聞いたが、

賛成論など聞いたことも新聞で読んだ記憶もなかった。


社長に「君はどうなんだ」と聞かれて、

「正直、わからないのです」と答えたところ、


「こっちに来い」といって社長室に連れていかれた。

社長は東西対立の国際情勢について実に丁寧に説明してくれたあと、

「自由な社会を守るためには、

それを圧殺しようとする勢力と闘わなければならない」と断じた。



・その後、政治家や言論人から同趣旨の話を何度も聞いたが、

長谷川社長の説得力は圧倒的だった。



・ジャーナリストの魂が宿っているような人だった。

各国の政治、経済、社会の事象を説明しつつ、

したがって事態はこう動いている、

あるいは動くはずだと分析する手法は私のジャーナリスト人生の生涯の指針となった。



・国鉄労組との闘い

1980年にジュネーブから帰国した頃、

中曽根康弘行政管理庁長官が、第二次臨時行政調査会を設置し、

その会長に土光敏夫経団連会長を担ぎ出した。

編集局長に呼ばれて、

「君を〝土光臨調〟に出向させる」と告げられた。



・私は自分の度胸には自信がある。

私の父は鹿児島の出身(屋山の姓は福岡である)で、最後

の薩摩隼人といわれたほどの男である。

父は生涯、「痛い」といったことがない。



・薩摩の教育は

「郷中」といって、

度胸こそが男の子の値打ちだと叩き込むのである。

小さい頃、度胸試しやお化け屋敷に一人で行かされた。

夜中に林を通って帰らされた。

「殺すぞ」といわれても、

「死んだらお終いになるだけ」と思えばいいだけの話だ。


 


★岡崎久彦、元駐タイ大使、『気功のすすめ』


 


・気というものが宇宙の神秘なのか、

それとも二十一世紀の初めという時点では

まだ解明されていないだけの現象なのか、

それも分からない。



・人間、この世の中に知らないものがあると知って謙虚になれば、

視野が何倍にも広がる。これは『菜根譚』の世界である。

「知らざるを知らずと為す。是れ知る也」は孔子の世界である。



・哲学書の理解が深まる

 死生観に関連して、私にとって気功を始めたことの

一つの大きな収穫は、その結果、哲学書が読めるようになったことである。

私は、旧制高校の最後の端くれであるので、

西田幾多郎の『善の研究』など、読んだ読んだと稱していたが、

実際は何も分かっていなかった。



・気功のコツは「イメージすること」。


 


 


 


※コメント

大先輩たちのストーリーには、

大いに学べるところが多い。

また憧れる人生を送っている人がたくさんおられる。