◆安井浩一郎『独占告白、渡辺恒雄。戦後政治はこうして作られた』を読み解く
★要旨
・1955年(昭和30年)に自由民主党が結党した頃、
渡辺は、ある派閥の領袖の寵愛を得て、
政治記者として一気に頭角を現していく。
・「義理と人情とやせがまん」の、党人派の大物・大野伴睦である。
・大野は「義理と人情とやせがまん」の掛け軸の通り、
人情味のある人柄で親しまれた。
・大野の懐深くに入り込み、取材者としてだけでなく、
軍師のように知恵を授ける関係にまでなっていたという渡辺。
その影響力は、絶大なものだった。
・「渡辺さんが大野伴睦の取材に力を入れた時代というのは、
渡辺さん自身が読売社内で、生きるか死ぬかの死闘をやっているときです。
自分の友軍である大野伴睦、それはやがては中曽根康弘になりますが、
彼らの出世と渡辺さん自身の出世が、
ある意味重なってくるわけです」
(御厨)
・渡辺はどのようにして取材相手の信頼を得ていったのか。
「あえて書くことを抑制することで相手の信頼を得る」
という自らの取材手法について、
次のように語る。
・「抑制しながら記事を書いたほうが、
はるかに特ダネの量が多いんですよ。
本人の嫌なことは書かない。
少しずつ書いても全部特ダネになる。それで十分です」
(渡辺)
・「『取材するやつが、取材対象にあまり近寄っちゃいかん』
と馬鹿なことを言うやつがいるが、
近寄らなきゃネタを取れない。
書いちゃいかんと言われているのに、
それを全部書いていたら、二度と会ってくれなくなる。
みんな書いてたら、
いつまでたってもベタ記事しか書けない記者になっちゃうの」
(渡辺)
・「行き当たりばったりで政治家が本当の話をするなんていうのは、
絶対にあり得ない。
食い込んでから小出しにすることだ」
・「『これは本当に書かんでくれよ』
と言われたことは書かない。
そうすると『もう大丈夫だ』と、
次から次へ『王様の耳はロバの耳』みたいな調子で、
全部しゃべってくれるようになるんだよ。
池田勇人も佐藤栄作も大野伴睦もみんなそうだったよ」
(渡辺)
・権謀術数の渦巻く政治の世界に飛び込み、
大野伴睦の懐刀となった渡辺は、永田町で一気に頭角を現していった。
この後、名だたる大物政治家と渡り合いながら、
戦後日本の舞台裏に深く関わっていくことになる。
★コメント
昭和史を知るうえで、貴重な話が多い。
何かをつかみとりたい。