◆内藤陽介『現代日中関係史:第1部』を読み解く



副題→切手・郵便に秘められた軌跡。

第1部、1945-1972





★要旨



・日本切手に比べて、

共産党の一党独裁体制下にある中国切手には、

良くも悪くも、その時々の「政治」が反映されている。



・その中には、

表向きの主題とは別の意図が隠されている切手や、

当局の公式プロパガンダとは裏腹の実態が、

意図せず露見している切手なども少なからずある。



・『現代日中関係史』は、

それらを当時の歴史的な文脈や国際関係の中に

位置づけていくことで、

第二次世界大戦後の複雑極まりない日中関係史を

再構成しようと考えた。



・1937年7月7日の盧溝橋事件に始まる、

「支那事変」は、あくまでも正式な宣戦布告のない「事変」であり、

正規の戦争ではないというのが建前であった。



・しかし、1941年12月8日、

日本がマレー半島とハワイの真珠湾を攻撃し、

米英蘭に宣戦布告して大東亜戦争(太平洋戦争)が

勃発したことを受けて、

翌9日、重慶にあった中国国民政府も

日本に対して宣戦布告を行った。



・1944年7月、

サイパンの日本軍守備隊が玉砕し、

米軍の日本本土への直接空爆が可能になると、

連合国において中国国民政府(国府)の戦略的な重要性は大いに低下し、

戦後処理に関する重要な決定の場から国府は、

徐々に外されていくことになる。



・2度のニクソンショックにより、

冷却化した日米関係を修復するための手段として、

佐藤内閣は昭和天皇・香淳皇后ご夫妻の訪欧を活用する。



・日米の懸案事項であった繊維問題については、

1971年7月5日の内閣改造で通産大臣に任命された田中角栄が、

同年10月15日、米側原案に近い形での、

「日米繊維問題の政府間協定の了解覚書」を仮調印し、

日本企業が対米輸出を自主規制する代わりに、

日本政府が国内の繊維業界へ約2000億円の救済融資を行う、

ということで一応の決着が図られた。




・ニクソンは1972年の大統領選挙で再選を果たすが、

彼が1969年に一期目の就任式を行った時と比べると、

1973年に始まる2期目の任期は、

米国を取り巻く国際環境は劇的に改善されていた。



・米国は中ソ両国と良好な関係を築くことで、

中ソにとっても米国は不可欠な存在となる、

三極構造ができあがったからである。




★コメント

複雑な国際関係史を

なめらかな文章で書かれているので、

読みやすく、理解しやすいです。

内藤陽介先生の圧倒的な表現力と筆致に少しでも近づきたいです。