◆童門冬二『近江商人魂』を読み解く



※要旨



・豊臣秀吉の側近にあって、京を中心とした天下政治を徹底しうる者、

それが蒲生氏郷だ。



・蒲生氏郷は、伊達政宗の軍略、武勇に対しても、一歩も引けをとらないばかりか、

軍兵を動かす駆け引き、軍律の徹底、人心の掌握においてまさに信長、勝家などといった、

一級軍人の下で多くのものを学び取った、天下の軍を引きうるほどの武人である。



・氏郷は、なんといっても織田信長が最もその才を愛した男であり、

現に信長の娘冬姫を正室に迎えている。

筋目のかがやかしい、文武に秀でいた大将でもあった。

家臣団の掌握、領内の繁栄策など、どれを取っても信長譲りの新しい感覚と、大胆さがあった。



・氏郷は近江商人を大切にし、楽市楽座を活用しながら、日野商人を伊勢松阪で育て、

さらに、ふたたびその商人たちを会津黒川でも育て上げようとした。



・千利休は、いうまでもなく堺の商人だ。

納屋業を営んでいた。

それはいまの倉庫業である。

堺は大きな貿易港だったから、しきりに船が入った。

船の積み荷は、そのまますぐ市場にいかない。

岸に揚げられて保管される。

その保管のための倉庫が納屋である。

堺の商人たちは、この倉敷料を大きな収入源にしていた。



・近江商人はこういう。

「わたくしの商いの方法は、天秤棒一本を肩にかついでの方法だ。

どうしても勤勉、始末、才覚、信用などが大切になる。

信用を得るためには、なによりも品物を吟味して、嘘をつかないこと」



・「利を得ても、それを自分一人で得てはいけない。

協力者や支持者にも分かち与えるべきだ」

というのが近江商人たちの生き様だ。



・給与と情は、部下管理の両翼だ。

どっちが欠けてもうまくいかない。



・氏郷の茶道は、単なる処世法、あるいは政治的手段だったといえない。

かれは根っからの風雅の人だった。

歌の道にも明るかったし、歌作にも優れていた。

文章もよく書く。

文人大名だ。



※コメント

近江商人と蒲生氏郷の関係はおもしろい。

戦国大名が動けば、経済や商人にも大きな動きがある。

現代にも通ずるところがある。