◆火坂雅志『臥竜の天・伊達政宗:上巻』を読み解く



※要旨



・伊達政宗は底響きのする声でつぶやき、

野のかなたを泰然と見つめつづけていた。

ひとたび、

「やる」

となれば、その行動は迅速にして果断だが、

堪えねばならぬときは、地べたに這い、

泥水を嘗めても堪え抜くだけの忍耐強さをこの若者は持っている。



・「人は死ねばどこへゆく」

政宗は学問の師である虎哉宗乙(こさいそういつ)に尋ねた。


「どこへも行きませぬ。だた無に帰るだけ。

あの世には地獄も極楽もない。あるのは、無だけです」



・上に立つ者にいささかでも逃げの気持ちが生ずれば、

そこから士気の低下がはじまり、勝負の行方を左右しかねぬことを、

乱世の荒波の中で生まれた二人の若者、政宗と片倉小十郎は、本能的に知っている。



・戦場で多くの経験を積んできた者の言葉には、道理がある。

ひとつの物事をつらぬく意志の強さも大事だが、

危機にさいして機敏に頭を切り替える柔軟さを持つのも、

大将たる者の条件かもしれない。



・虎哉らが所属する妙心寺派では、諸国の大名に招かれて、

その相談相手になる者が多く、戦国乱世のなかで寺勢を飛躍的に拡大させていた。

今川家の太原雪斎、織田家の沢彦宗恩など。



・戦いは、空模様が変わるごとく、その場の状況に応じて、

静と動を自在に使い分けていかねばならない。

目的を遂げるために、がむしゃらに道を突っ走るだけではだめだ。

伊達政宗が学んだのは、物事を進めていく上での、

「政治」

の重要性であろう。



・戦いは、単調であってはならない。

つねに相手の意表をつき、裏の裏をかくことを考えねば勝利は手にできぬ。



・日本海が荒れるのは、風が強い冬のうちだけで、

夏場はほとんど波が立たない。

そのため、日本海側では古くより舟運が発達し、

若狭小浜、越前敦賀から三国、直江津、酒田、土崎の諸湊、

さらには蝦夷地を結ぶ海上の流通ルートが確立していた。

上杉が富強を誇ったのは、この海の道を握ったためだ。



・政宗は座禅を組み、秀吉と戦う心構えをつくった。

「死中に活あり」

と政宗は師の虎哉宗乙から教えを受。けている

生き延びようとして生にすがる者は、心に迷いが生ずる。

死を覚悟してひらきなおってこそ、

明日を切り拓くための道が見えてくる。



・「宮仕えとは、辛抱の連続よ。

多少、意に染まぬと思うことがあっても、

腹の底でぐっとこらえ、上に立つ者に従わねばならぬ。

それが生きるということだ。

できるかな、お手前に」(前田利家)



・野望のある人間は、その遠大な目標のためなら、ときに泥水をすすり、

不倶戴天の敵に頭を下げることもできる。

裏を返していえば、野望のために身を撓め、

いかなる逆境にも耐え抜くことのできる者こそが、

真の英雄であろう。



・蒲生氏郷は武人としてのみならず、

民政家としての手腕にも長けている。

また文雅の素養もあり、千利休の高弟、いわゆる「利休七哲」の筆頭でもあった。



・政宗にかぎらず、戦場でつねに命の危険にさらされる戦国武将には、

多かれ少なかれ鉢の底が抜けたような死生観がある。

また、そうした死生観を持たなければ、

苛酷な現実と対峙していくことはできない。



・天下の政とは、一筋縄ではいかぬものだな。

さまざまな人の思惑が絡み合い、天下は動いている。

一筋縄ではいかぬからこそ、おもしろい。



・上に立つものが明確な戦略をしめし、強力な指導力を発揮せぬかぎり、

いかなる大要塞も物の役に立たない。

ケンカするなら、大将自身が迷いを断ち切り、腹を据えることだな。



・古代以来、奥羽は大和朝廷の支配を受け、上方の政権に搾取されてきた。

それを打破したのが、平泉に黄金文化を花ひらかせた奥州藤原氏であった。

奥州藤原氏は三代で滅んだが、その独立王国の記憶は、

北の大地に生きる者たちの魂に、輝かしく刻まれている。



・政宗は繊細にして、大胆である。

あれこれ思い悩むが、いったん気持ちを決めると、

誰よりも大胆になれる。



・豊臣秀吉は、人間というものを知っている。

その怖さも、愚かさも知り抜いた上で、人の心をたくみにあやつり、

乱世の生き残り戦を勝ち抜いてきたのだろう。

そのような相手に、小手先の策など通用せぬ。

政宗は、大局観に立った、

「政治」

というものの重要性を痛感した。



・伊達家の蔵方は、鈴木元信だ。

元信は異能の男である。

米沢の商家の息子であった。

鈴木家は代々、米沢北方の金山を経営しており、

そこからの上がりを元手に土倉、酒屋をいとなみ、

羽州随一といわれるほどの財をなした。



・元信は天下の経営に参画したいと大望を抱いた。

素養を積むため、京へ上り、茶の湯、小鼓、謡曲、漢学、兵学などを学び米沢に戻った。

元信に会った政宗は、その諸方面にわたる教養と、経済の知識に驚いた。

元信のほうも、天下への野心を燃やす政宗の行動力、器量の大きさに惚れ込み、

以来、伊達家の財務一切を取り仕切って、政宗を側面からささえるようになった。



※コメント

戦国時代の後発組として登場する伊達政宗だが、その魅力は輝いている。

さまざまな面白いエピソードを持っており、飽きさせない。

戦国時代はワクワクする。