◆斎藤充功『陸軍中野学校・秘史』を読み解く



※要旨



・戦後29年、フィリピンのルバング島から生還した小野田寛郎少尉は、

陸軍中野学校二俣分校出身だ。



・小野田氏と同期でフィリピン戦線に配属されたA氏は小野田氏の29年間のルバング島生活を

「小野田がルバングで守ったのは丸福金貨だと思うよ。

目的は軍資金の隠匿、それ以外考えられない」

と、小野田氏の「残置諜者」の使命を推測した。



・丸福金貨とは戦争末期、大蔵省や造幣局の記録にも載っていない

前線軍部の物資調達用に密かに鋳造された金貨であった。



・中野学校の教官、秋草俊は遊びというフィールドワークを通じて、

学生たちの観察力や集中力、記憶力をテストした。

日頃から観察力や集中力を研ぎ澄ませて置かなければならない。



・1940年に入学したある中野学校出身者は授業内容を次のように回想する。

「われわれのころは、まだ教科書がプリントでした。

授業では、忠臣蔵47士の討ち入り前夜の潜行状態を解説したものがあった。

それと忍者の藤田西湖という人の話も聞きました」



・中野学校では情報戦士養成の実践教育だけでなく、

「己を捨てる精神、民族や国に尽くす精神」などの精神修養も重視された。

教材に使われたのは『古事記』や北畠親房『神皇正統記』、吉田松陰『講孟余話』などであった。



・中野学校では、軍事学の中に重要な兵要地誌を学んでいた。

兵要地誌とは「地理、地形、地誌を調査して作戦に活用する情報収集と分析」で、

研究対象国は英国、米国、ドイツ、フランス、イタリア、ソ連、中国、モンゴル、

南洋地域と広範囲にわたっていた。



・他に気象、交通、航空、心理、統計学なども学び、

精神教育では前出の古典を基本とした国体学が講義されていた。

外国語は英語、ロシア語、中国語の3カ国が任地によって選択コースに組み込まれた。



・「一般の軍事学になりますと、戦史と戦術、これを非常に重視しました。

それから一般学では、あらゆるものを教わりました。

法制関係、経済関係、宣伝、情報、陸運、海運の運輸関係など。

それと比較的重視されたのが語学。

語学の時間が相当ありました。

中国語、ロシア語、英語、それからマレー語の4班に分かれていた」

(中野学校出身者)



※コメント

いまでも語り継がれる陸軍中野学校。

中野学校が教えてくれる本質は現在にも通用する。