◆牧野邦昭『経済学者たちの日米開戦。秋丸機関・幻の報告書』を読み解く


(秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く)



※要旨



・陸軍省戦争経済研究班(秋丸機関)の創設。



・昭和14年、1939年、

関東軍参謀部第四課から

陸軍省経理局課員兼軍務局課員に転任を命じられた

秋丸次朗主計中佐は、満州国から東京に着いた翌日、

陸軍省に出頭して、

軍務局軍事課長の岩畔豪雄大佐に着任の挨拶をした。



・岩畔は内々に、次のように秋丸に熱心に語った。

経理局を中心として経済戦の調査研究に着手したい。

経済謀略機関を創設して欲しい。



・秋丸はこうした岩畔の話に戸惑ったが、

経理局主計課の上司の協力を得て、

陸軍省戦争経済研究班(秋丸機関)の創設に着手していく。



・秋丸はもともと関東軍第四課で、

満州国の経済建設に深くかかわっていた人物である。



・宮崎県出身で陸軍経理学校を経て

主計将校としての職を積んできた秋丸は、

昭和7年、1932年に陸軍経理学校高等科を卒業。

その後、陸軍省依託学生として東京帝国大学経済学部に入学。

河合栄治郎門下の山田文雄に工業政策を学んだ。



・昭和11年、陸軍主計少佐に昇任後、

関東軍参謀部付の関東軍第四課主任として勤務する。

関東軍第四課は

満州国に対する内面指導を行う「関東軍の頭脳」であった。



・「陸軍版満鉄調査部」としての秋丸機関。



・秋丸次朗は満州国の経済と深く関わった軍人であり、

満鉄経済調査会やその後身の満鉄調査部と密接な関係があった。

さらに岸信介や椎名悦三郎ら、日本の官庁から満州国に

派遣されていたいわゆる「革新官僚」との人脈も持っていた。



・岩畔が自分の目指す組織を作ろうとする際に参考にしたのが、

満鉄経済調査会や満鉄調査部、

さらに日満財政経済研究会であっただろうことは

容易に想像できる。



・秋丸が関東軍第四課から呼ばれたのは、

経済関係の官僚とも協力でき、

満鉄経済調査会・満鉄調査部のようなシンクタンクを

使った調査もできる人員と評価されたからであろう。



・秋丸自身も「秋丸機関」を作っていくにあたり、

満州国時代の人脈や手法を使っている。

秋丸機関はいわば「陸軍版満鉄調査部」であった。



・報告書『英米経済抗戦力調査』で浮き彫りになったのは、

ドイツとイタリアが

大西洋においてどれだけ英米の船舶を撃沈できるか、

言いかえればドイツとイタリア、

特にドイツの経済抗戦力がどれくらいの大きさなのかによって、

イギリスが降伏するかしないかが決まる、ということである。



・したがって、

秋丸機関の報告書で重要なのは、

実は『英米』ではなく『独逸経済抗戦力調査』なのである。



★コメント

やはり、歴史はいろいろな面がある。