◆牧久『転生。満州国皇帝・愛新覚羅家と天皇家の昭和』を読み解く
★要旨
・「千葉市ゆかりの家・いなげ」もよほど注意して見ないと一般住宅と見分けがつかない。
この「ゆかりの家」の床の間に、一幅の書が額に入れられて展示されている。
日本の公家の娘、嵯峨浩と結婚し、
新婚時代の半年間をこの家で過ごした満州国皇帝・愛新覚羅溥儀の弟、溥傑の自詠自筆の書の写しである。
・浩は敗戦の混乱の中、
幼い嫮生の手を引いて満州の荒野を逃げ惑い、
満州国崩壊から一年半後、命からがら日本に辿り着く。
溥儀、溥傑兄弟はソ連軍に捕らえられハバロフスクの獄中にあった。
・1929年(昭和四年)、
「清朝復辟(退位した君主がまた君位につくこと)の夢」を抱いて来日した溥傑は、
学習院で日本語を学んだあと陸軍士官学校に入学する。
・溥傑の日本留学を強く後押ししたのは、
同じ夢を抱く清朝のラストエンペラー、兄の溥儀である。
・中国王朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀とはいったいどんな人物だったのか。
そして、溥儀を擁立してつくられた「満州国」とはいったいなんだったのか。
・満州国は、総面積130万平方キロメートル(現在の日本の国土の三倍)の大地に、人口が4300万人、
うち朝鮮人216万人、日本人155万人、ソ連から亡命した白系ロシア人などが住み、
厳冬期には零下四〇度になる厳しい風土に鉄鉱石や石炭などの豊富な鉱物資源が眠っていた。
そこは、当時の仮想敵国ソ連との防衛線であり、
清朝の帝室、満州族の故郷でもあった。
・筆者は、「新幹線の生みの親」十河信二の生涯を描いた評伝『不屈の春雷』で、
十河が満鉄の理事時代に満州事変のシナリオを書いた石原莞爾と盟友関係を結び、
一時は「五族協和、王道楽土」建国の理想に燃えたことを描いた。
・さらに、昭和恐慌以降、疲弊する農村救済のために
満蒙への開拓移住に深く関わった農学者の加藤完治と
「屯墾軍」を発想した軍人・東宮鐵男ふたりの交錯する人生と満蒙開拓団の悲劇を
主題にしたノンフィクションを書いたことがある
(『満蒙開拓、夢はるかなり』)。
・これらの本の取材を通じて筆者が実感したのは、
今の中国では「偽満州国」と呼ばれ歴史上存在しない「うそ・いつわりの国家」となった満州国は、
それでも一三年五ヵ月の間、
この地球上にたしかに存在した国だったということである。
・溥儀と溥傑は、敗戦と同時に、ソ連軍に捕まって、ハバロフスクで抑留、
その後、中国の内戦で毛沢東の中国共産党が勝利すると、
身柄は中国共産党に引き取られ、
撫順の戦犯管理所で徹底的な思想改造、洗脳教育を施される。
・このときふたりが書いた「認罪書」がのちの自伝である溥儀の『わが半生』と、
溥傑の『溥傑自伝』のベースとなっている。このことでもわかるように、罪から逃れるためのウソも存在し、
彼らが遺したものすべてがファクトなのかどうかは、疑わしい。
・そのほかの史料や文献と慎重に読み合わせることで
「真実」を手繰り寄せる作業が不可欠である。
・そうした史料の森に分け入った元新聞記者が、
史料と史料をつきあわせて、
真実と思われる糸を手繰り紡いでいったノンフィクション・ストーリーであると理解して読んでいただければ、
筆者として望外の喜びである。
★コメント
さまざまな文献を当たり、
歴史を紐解いていく作業はおもしろい。
ライフワークにしたい。