◆千葉・流山市の地場産業と民権運動について語りたい。



★ポイント



・子育てしたい地域という点で、全国的に上位にランキングされる千葉県流山市。

そこには、アメリカ帰りのハイカラな市長の尽力もある。

しかし、流山には、江戸時代から続く、確かな地場産業と民権運動の流れが息づいている。



・流山は、江戸時代から「みりん」の産地として知られる。

いまも、流山キッコーマンの工場があり、地場産業として根付いている。



・流山のみりんは、色が淡いことから「白みりん」として、親しまれた。

江戸川を下って、問屋を通して、江戸や日本橋の料理屋さんに届けられた。



・明治時代になっても、

明治10年の内国勧業博覧会へ流山の「みりん」を出品するなど、経営努力を続けた。



・明治大正にかけて、個人事業から株式会社へ移行し、

野田市の野田醤油との合併など、激動の時代に揉まれて、現代に、

その地場産業を残している。



・流山の岩田喜助は、江戸時代に名主の家に生まれ、明治大正昭和を生き抜いた人物である。

彼が師範学校へ通っているとき、全国的に、

国会開設に向けた自由民権運動が活発に進んだ。



・岩田も師範学校内に土曜会なる討論会・政治組織をつくった。

あらためて、地方の隅々まで民権運動の流れが、浸透していたのだと実感した。