◆山口昌子『パリ日記。ミッテランの時代1990-1995』を読み解く



(→特派員が見た現代史記録・1990-2021)




★要旨



・今、想い起こすと、

20世紀最後の10年間と21世紀初頭からの約20年間は、

フランスはもとよりヨーロッパは文字通り、

激動の時代だったと言える。



・フランスは湾岸戦争に続いて、ボスニア紛争、コソボ空爆、

アフガニスタン戦争に国連平和維持軍、多国籍軍として多数を派兵、

多数の戦死者と重軽傷者を出した。



・サラエボはパリから空路2時間の「隣国」であるという自明の理に気づいたのは、

パリに赴任後だった。



・こうしたヨーロッパの激動の時期に新聞社の特派員として、

次いでフリーのジャーナリストとして現場に立ち会うことができたことを、

僥倖といわずに何と言おう。



・しかも、そのヨーロッパに1000年、

曲がりなりにも大国として存在し、

中心的役割を果たしてきたフランスから眺望できたのだから。



・ミッテラン大統領の時代、

フランスは「外交大国フランス」の地位を保持していた。

冷戦の幕引きを行った「パリ会議」が開かれたのは、

凱旋門に近いフランス外務省のクレベール別館ではなかったか。



・今、振り返ると、

「ミッテランの時代」はパリがまだパリらしかった時代でもあった。



・パリ支局長としての赴任を前に、

産経新聞社の先輩たちがいくつかの忠告をしてくださった。

「ウマに食わせるほど(大量に)送れ」

「自分が良く理解できないことは無理して送るな。読者に失礼、迷惑だ」

「新聞記者にとって、記事は試験の答案を書くようなもの。そのつもりで送れ」

そして、

「毎日、日記を書くつもりで送れ」。




★コメント

古き良きフランスとパリが、そこに見えるような気がする。

読み込み、想像を膨らませたい。


 

 

 

 

 

 

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