◆竹村公太郎『日本文明の謎を解く』を読み解く(その3)
※要旨
・情報公開と長良川河口堰(かこうぜき)。
・1991年の正月は、
私にとって人生最悪の正月だった。
当時わたしは、長良川河口堰事業を担当している、
建設省河川局の建設専門官であった。
・この事業は全国の注目を集め始めていた。
「天然河川、長良川を守れ!」
とマスコミ報道が全国的に広がり、反対運動が起きていた。
・事業目的の洪水位を下げることの必要性や、
それに伴う海水の逆流防止の塩止堰の必要は
ほとんど報道されなかった。
・相談にいった友人のマスコミ人は言った。
今の社会はマスコミを敵に回したら負け。
味方にしないまでも、
一応こちらの論理が理解され引き分けに持ち込む必要がある。
マスコミの世界で引き分けた後は、
直接の関係者へ地道な説明を続ける。
このマスコミ戦は、極めて重要な土俵なのだ。
・やがて私は、河川行政の現地責任者として、
市民団体との話し合いやマスコミとの対応に追われることになった。
・市民団体との話し合いの場で私は、
長良川の治水の必要性などについて説明した。
何時間も説明し、最大限の誠意で対応したつもりだった。
しかし、彼らは
「データを隠しているので信用できない」
と言い放った。
この言葉は、私を打ちのめした。
・この言葉を言わせないためにはどうしたらいいか、
その答えは一つしかなかった。
それはデータをすべて出すことであった。
・データをすべて出すことは、建設省内部でも動揺があったが、
ネットが普及していなかった当時としては最大限の情報公開をした。
・当時の情報公開は、苦し紛れの開き直りで、
それほど効果があるとは思っていなかった。
当事者の私は気が付かなかったが、
その10年後になって、そのときの情報公開の重要性に気づくことになった。
・のちに当時のことを検証した本を読んでいたら、
情報の全面公開によって、
マスコミの論調が劇的に変わっていたことがわかった。
・この情報公開により
建設省や水公団がマスコミから信頼を得たことは間違いない。
・その情報公開とは得られたデータを次々と出していくだけで、
決して派手なパフォーマンスではなかった。
記事になるかどうかは無関係に、
毎日毎日データを繰り返し出すという単純な作業であった。
・この日々の地味な作業がマスコミに信頼されるきっかけとなった。
マスコミに信頼されれば、
事業の判断は「感情」ではなく「理」によってなされる。
マスコミは判断しないまでも、
賛否両論を併記して報道するようになる。
・実は、このマスコミが賛否両論を報道してくれる状態が、
マスコミとその背後の世論と会話している状態なのだ。
・このマスコミと会話を成立させるには信頼関係が必要であり、
その信頼は情報公開によってもたらされる。
情報公開こそがマスコミとの会話の土台となる。
・この土台がないまま、
マスコミに信頼を得ようと努力しても
すべて徒労に終わる。
・人と人が会話するときも、
信頼がなければ言葉は単なる雑音でしかない。
理解しあうための会話の前提は信頼である。
・その信頼の上に立ってお互いの考え方を述べ、
意見を戦わせ、共通部分と相反部分を認識し、
少しずつ共有する部分を広げていくことが
コミュニケーションなのである。
★コメント
情報をいかに集め、いかに発信するか。
あらためて永遠の課題を見つけたり。
日々研究して、実践していきたい。