◆大木毅『太平洋の巨鷲。山本五十六。用兵思想からみた真価』を読み解く


★要旨


・そもそも山本が世間に知られるようになった時期、一九三〇年代の彼の評判は、
一部の理解者を措けば、芳しいものではなかった。


・軍縮条約による保有艦艇の制限に賛成し、
独伊との接近に反対した山本は、既存勢力との対決と拡張主義を是とする当時の風潮にあっては、
軟弱な親英米派とみなされており、
むしろ激しい批判の対象になっていたのだ。 


・けれども、山本が連合艦隊司令長官となり、
真珠湾攻撃をはじめとする太平洋戦争の緒戦で大きな戦果を挙げると、
彼は一躍「名将」に祭り上げられる。
一九四三年に前線で「戦死」したとあってはなおさらであった。


・しかしながら、
山本の指揮や統率に対する批判、それも強い批判がなかったわけではない。


・それは、山本と対立する立場にあった旧海軍軍人、多くは対米強硬派であった、
いわゆる「艦隊派」と目されていた人々のあいだで、
伏流のようにささやかれていた。


・軍人は通常、下級指揮官から出発し、戦術次元の職務を遂行することになる。だが、しだいに階級が上がり、重要な役職に就くにつれて、作戦次元、
さらには戦略次元の任務を与えられ、それぞれの階層における能力を試される。


・軍事研究一般に、より高位の次元、戦術次元よりは作戦次元、
作戦次元よりは戦略次元で能力があるほうが評価は高くなる。 


・また、職務・階級の上下にかかわらず、一貫して要求されるのは、部下を服従させ、
死地に赴かせることを可能とする統率力である。


・ともあれ、高野(山本)五十六は、
父貞吉に厳しくしつけられ、
武道や手習い、漢籍の素読を叩き込まれて育った。


・長岡に生まれ育ち、
青年期にさしかからんとしていた五十六がすでに、
その生涯の特性になった「沈黙」を身にまとっていたことは間違いない。


できていませんが、彼が、言葉をつくすのを億劫がる人物だったことは、
後年、連合艦隊司令長官として戦争を遂行する際に、
指揮上の問題を来すことになる。


★コメント
あらたなる山本五十六に関する分析を発見した。
人の評価は難しい。