◆寺尾文孝『闇の盾。政界・警察・芸能界の守り神と呼ばれた男』を読み解く
★要旨
・一九六〇年に警視庁に入庁、機動隊員として第一線で働いたあと五年半で退職し、
秦野章元警視総監の秘書となり、
一九九九年に「日本リスクコントロール」を起こして代表となる過程で、政治家、
官僚、芸能人、芸能プロダクション経営者、宗教団体、病院経営者、飲食店経営者、マスコミ人、政府関係者、
暴力団幹部などあらゆる人間からあらゆる相談を受けてきた。
・池田保次、許永中、伊藤寿永光、田中森一、森下安道、
野呂周介らバブル紳士との濃厚な付き合いもあった。
・私自身、バブル崩壊によって大きな痛手を受け、一時は
「もうこれまでか」というほど追い詰められたこともある。
・私は昭和一六(一九四一)年、
長野の北佐久郡岩村田住吉町に生まれた。
五人兄弟の次男で、上から三番目、私の下には二人の妹がいる。
・父は地元で田畑をつくったり、夏は鮎、
冬はキジ、ヤマドリなど狩猟をして生活し、田舎で食べるものには困らなかった。
・小遣いを稼ぐために、
小学校四年から新聞運びを高校卒業まで続けた。
・新聞を配達するのではなく、ある程度の部数を近隣の集落まで届けるのだ。
朝四時に起きて、雨の日も、風の日も、雪の降る真冬でも自転車で通った。
・違法行為や不正に手を染めたことはいっさいないが、
危ない橋をわたったことはなんどもある。
・すべて墓場まで持っていくつもりだったが、がんを患って二度の手術を受けたこともあって、考えを変えた。
私が走り抜けた六〇年間を、はじめて語ろうと思う。
・後藤という男は、到底ヤクザの大親分には見えない。
・後藤に取材したことがある作家が、
「私がいままで会ったなかで、いちばん風采があがらない親分だった」
とどこかで書いていたが、私に言わせればとんでもない誤解だ。
頭は抜群に切れる。
いざとなれば実力行使に打って出る度胸もある。
・一時は山口組内でも有数の資金力を誇り、
若頭補佐にまで上り詰めた。
★コメント
日本社会の舞台裏を垣間見れる。
おもしろい。