◆広岡達朗『プロ野球激闘史』を読み解く
★要旨
・私が早稲田大学を卒業して巨人に入団したのは
1954(昭和29)年だった。
・あの敗戦から8年余りが過ぎ、
新生日本が再建に向かって立ち上がった時代である。
・1966(昭和41)年に34歳で引退したあとも、
コーチ・監督として指導した後輩たちに多くのことを教わった。
選手に教えるということは、選手に学ぶことでもある。
・この本では、
現役選手として監督として、私が死力を尽くして闘った「昭和の達人たち」の素顔を書いている。
・私は新人王でプロ野球生活のスタートを切ったが、その後は波瀾万丈の野球人生だった。
・巨人ではエースの別所毅彦投手に
「このへたくそ! 監督、こんなショートがいたら勝てる試合も勝てんわ」
と罵倒され、
一塁の川上哲治さんは手を伸ばせる範囲しか私の送球を捕ってくれなかった。
・しかし私は、
「よし、文句をいわせないプレーをすればいいんだろう」
と闘志をかきたてられて守備を磨いた。
・引退して野球評論家になってからも、
V9時代の川上監督には取材拒否でいじめ抜かれたが、「監督になって川上巨人を追い抜いてやる」と勉強を続け、
セ・パ両リーグで計4度優勝して3度日本一になった。
・陰湿ないじめも非運も「負けてたまるか」と乗り越えて、
88歳になったいまは、
厳しく鍛えてくれた巨人軍と先輩たちに感謝の気持ちしかない。
・ 時代が令和に変わって、また昭和が遠くなった。
・私は太平洋戦争が始まる前の
1932(昭和7)年、広島県呉市で生まれた。
近くに海軍基地の江田島があり、父は海軍少佐で駆逐艦の機関長だった。
・5人きょうだいの末っ子で、旧制中学校を卒業したら海軍兵学校に進み、
父親のように軍人になると思っていたが、1945年の敗戦で時代が変わった。
★コメント
広岡さんの野球人生は、凄まじい。
学びたい。
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