◆似鳥昭雄『運は創るもの。私の履歴書』を読み解く
★要旨
・書籍化に当たってタイトルを「運はるもの」とした。
・仕事で失敗したり、思うような結果を出せなかったりすると、人は「私は運が悪い」と考えがちだ。確かに運も大きい。
・私自身、ここまでニトリを成長させることができたのは80%が運だと思っている。だがそれは偶然の産物ではない。
・「運は、それまでの人間付き合い、失敗や挫折、リスクが大きい事業への挑戦など、深くて、長く、厳しい経験から醸成される」というものでもある。
・私は1944年(昭和19年)に樺太で生まれた。父・義雄の先祖は南部藩で家老を務めていたと聞くが、戊辰戦争で敗れ、岩手県から北海道の花畔村(現在の石狩市)に開拓民として移ってきた。
・私は開拓民の4代目に当たる。
・劣等生だった私がなぜ成功できたのか。
・今回の履歴書では半生を振り返り、熊坂先生の疑問に答えていきたい。
・今も飲み過ぎるし、遊び好き。だらしない性格も変わっていない。
・逆に何もできないから、色々な人の力を借りながら成功できたと思う。
・家内からは「あなたは人が普通にできることはできないけど、人がやらないことはやるわね」とからかわれる。
・ニトリの1号店が開業したのは1967年(昭和42 年)。当時は極度のあがり症でうまく接客ができない。
・ところが嫁入りした家内の百百代が販売上手で、私は仕入れや物流などの仕事に専念できた。
・もし私が販売上手だったら、街の人気店で終わっていたかもしれない。「短所あるを喜び、長所なきを悲しめ」は私の好きな言葉だ。
・それから人生の師匠である、チェーンストア理論の日本での普及に多大な貢献をした渥美俊一先生に出会えたこと。
・先生の考え方が「人生をかけるに値する」と信じ、忠実に経営に生かした。
・賢くないので、あれこれとリスクは考えずに突っ走ることができた。
★コメント
おもしろ過ぎる人生だ。少しでも何かを学びとりたい。
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