◆大木毅・訳『バルバロッサ作戦・回顧録』を読み解く
ヘルマン・ホート、著。
(第三装甲集団司令官)
★要旨
・ホートは、
知る人ぞ知る作戦の名手という
評価を受けているといえよう。
・その主著『装甲部隊の諸作戦』を
はじめとする諸論考も、
日本ではほとんど存在さえも
知られていなかったが、
第二次世界大戦史の重要な側面に
眼を開かせてくれるものである。
・また、装甲集団という
巨大組織を運用したホートの知見は、
単に軍事のみならず、人
間の集まりを動かす上での
貴重な示唆を与えてくれるだろう。
・ゆえに、
彼の諸論考をこうして翻訳刊行することは、
おおいに今日的な意義を有しているものと
確信する。
・まずは、将軍の生涯を概観しよう。
ホートは、一八八五年に
ノイルピンに生まれた。
・父は軍医少佐であり、
ホートも軍人の道を志した。
・事実、陸軍幼年学校、陸軍士官学校を経て、
第72歩兵連隊に任官、
陸軍大学校を卒業して参謀将
校の資格を得るという経歴は、
第二帝政のエリート将校の典型といえる。
・一九一四年に勃発した
第一次世界大戦においても、
ほとんど、軍、軍団等の参謀に
補職されており、
正統的な出世コースを歩んだ。
・ちなみに、
一九一六年から一八年にかけては、
陸軍航空隊関係の参謀勤務を続けている。
・第二次世界大戦で、
ホートが空軍の支援を活用し、
縦横無尽の活躍をみせたことを思えば、
注目すべき経歴であろう。
・このようにホートは自らが
優れた人材であることを証明していたから、
ドイツの敗戦とヴェルサイユ条約の締結に
よって陸軍が大幅に縮小され、
十万人の枠をはめられたのちになっても、
退役を強いられることはなかった。
・国防省などの中央勤務と隊付将校を
交互に繰り返し、
順調に進級していったホートは、
第二次世界大戦開戦時には歩兵大将として、
ドイツ国防軍の虎の子である機械化部隊の一つ、
第15軍団を任されていたのである。
・この軍団を率いて、ホートは、
機動戦のお手本ともいらべき戦いぶりを示した。
・一九三九年のポーランド侵攻作戦では、
他部隊と協同して全周包囲作戦を展開、
敵七個師団を殲滅している。
・翌1940年の西方侵攻においては、
アルデンヌの森を突破、
ムーズ川渡河を敢行、連合軍を分断。
撃滅する作戦に、おおいに貢献した。
・さらに、一九四一年の
ソ連侵攻「バルバロッサ」作戦においては、
第3装甲集団司令官として、
モスクワ前面に迫る働きをみせたのだ。
★コメント
ドイツの歴史は、
英米史にくらべたら情報が少ないが
少しずつ調べたい。
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