◆与那原恵『首里城への坂道:鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像』を読み解く

 

 


※要旨

 


・1992年に復元された城は、
いま、おおぜいの観光客でにぎわっている。


・戦争によってその命が潰えたかと
思われた城が「琉球の時代」の息吹を伝えるシンボルになった。


・首里城がこうしてふたたびすがたを
見せるまでには、
じつにドラマティックないきさつがある。


・首里城は大正末期に
取り壊されることが決定していた。
そのとき城は琉球王国崩壊から
四十数年をへたまま、くずれかかっていた。


・ところが、 香川生まれの鎌倉芳太郎という
琉球芸術を研究する20代半ばの青年が、
取り壊し阻止のために動くのだ。


・そのとき彼に、なにより城にとって、
きまざまな幸運が一瞬重なり、
難をのがれることになる。


・直後に首里城の保存が決まり、
「国宝」の指定を受け、
昭和初期には大々的な修理もなされ、
城はよみがえった。

・鎌倉をひとことであらわすのは、
とてもむずかしい。


・あえていうならば、
「琉球文化」全般の最高のフィールドワーカーだろう。
彼以上に、琉球と対話し、
観察し、記録した人間はいない。


・沖縄本島各地、宮古、八重山、奄美の島々を
くまなく歩き、
琉球のすべてをとらえようとした彼が
テーマとしたのは、芸術、文化、歴史、
民俗、宗教、言語など、
幅広いことも、ほかに例をみない。


・いま「鎌倉資料」として残るのは、
81冊のフィールドノート、
多くの古文書の筆写や複写。


・1236枚のガラス乾板、
1269枚の紙焼き写真。
「紅型」(王国時代からの染物)の
型紙1114点、 裂地627点などである。


・その量のすさまじさに驚くが、
フィールドノートや古文書の筆写の
緻密な内容を知ると、言葉をうしなうほどだ。


・ととのったペン文字でびっしりと
書かれたノートを
「求道者の記録のようだ」と評す人もいる。


・とりわけ圧倒されるのは写真だ。
建造物、工芸品、絵画、人物、
集落の全景。
どれも対象を精確に写しとろうとする
静かな気魂に満ちている。
ひとりの人物がここまでできるのかと、
だれもが感嘆する。

 

 

※コメント
まだまだ沖縄について知らないことばかりだ。
痛感した。

 

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