◆深沢正雪『海を渡ったサムライたち:邦字紙記者が見たブラジル日系社会』を読み解く
※要旨
・ニッケイ新聞は、
ブラジルに住む日本人・日系人のための新聞で、
サンパウロ市に本社を置く日刊邦字紙(日本語新聞)である。
・ブラジル移民の歴史は1908年にはじまり、
1932年、33年を絶頂期に戦前だけで19万人、
戦後には、6万人、あわせて約25万人が移り住んだ。
・その子孫は現在、6世まで誕生し、
当国の日系人は約150万人に増えた。
全世界の日系人数が約250万人なので
その半分がブラジルに在住している。
・日本在住者にすると、
ブラジルはサッカー、コーヒー、サンバという
イメージだろうが、
実はこのように強い血縁の絆で結ばれた国なのだ。
・2008年には
日本人移住100周年を迎えた。
・この100年間は、順風満帆であった訳ではない。
戦後すぐに日系社会が直面した勝ち負け抗争は
その最もたるものだった。
→戦時中に、日本語使用の禁止、邦字紙の廃刊、
日本語学校の閉鎖など敵性国民として
厳しい扱いを受けた。
→当時、大半の移民が数年間の出稼ぎ気分だったため、
ポルトガル語の新聞を読めるほどの
語学力のある人は少なく、
正しい情報が手に入りにくい環境だった。
→異国で生活する移民にとって祖国は、
アイディンティティのよりどころだった。
敗戦を認めることは、
自らの誇りが打ちのめされることであり、
「帰る場所がなくなる」ことだったのだ。
→その結果、日本近代史上まれに見るテロ事件が勃発し、
コロニア(邦人社会)は未曾有の混乱期を迎えた。
・当地は、日本人が世界中の民族が集う異国社会へ
適応・順応するための壮大な歴史的実験が、
ささいな日常を通して行われている現場でもある。
・日系人による、特に農業分野における貢献は大きく、
「日本人が野菜を食べる習慣を広めた」
と言われるほどになった。
・移民たちのたゆまぬ取り組みの成果として、
地球の反対側という位置関係にも関わらず、
世界でも珍しいほどの親日国家となった。
※コメント
ブラジルにおける移民の方々の歴史を振り返ることで
あらためて日本人とは何か、
深く考えさせられる思いである。
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