◆大宅壮一『三木武吉:昭和怪物伝』を読み解く

 


※要旨


・三木武吉は明治17年、
香川県高松市生まれ。
首相の三木武夫とは親戚関係ではない。


→明治39年、司法試験合格。
翌年、弁護士業開業。


→大正6年、衆議院議員に当選。
以後連続6選。
昭和14年、報知新聞社長。


→昭和17年、21年の
総選挙にて当選したが追放。
昭和26年追放解除以来、
保守合同の立役者として活躍。
昭和31年、死去。

 

・三木も吉田茂も、悪型であるが、
そのあり方も、大衆に与える印象も全然違う。
吉田はワンマンで、
憎々しいまでにその独裁ぶりを発揮した。


・吉田は「毛なみ」はいい。
三木は、弁護士資格をとって政界に出たけれど、
東京市の疑獄に連座し、
一度ならずクサイ飯を食っている。
いわば完全な野武士である。


・三木の実力は何人も否定できない。
いつまでつづくかわからぬと思われた吉田を
政権の座からひきずりおろしたのは、
主として三木の力である。


・三木は、逆手とりの名人である。


・彼は前田米蔵や大麻唯男などとともに
名うての「寝業師」として通っていた。
昔から日本の政界には裏取引の達人が多い。


・三木については、
いろいろと伝説めいた話が伝えられている。
ある演説会場で、聴衆の一人から、


「あなたは妾を5人お持ちだそうだが、
指導的地位にあるものとしてそれでいいのですか」

と質問を受けた。
これに対して彼は、


→「5人というのは間違いで、実は6人です。
いずれも若気の誤りで仲良くなった女たちですが、
私を離れて生活ができないので、
今も私がめんどうを見ているのです。
この際、突き放して路頭に迷わしたほうがいいか、
それとも今後なお世話をしていったほうがいいか、
あなたのご指導を願いたい」

と答えたところ、場内は拍手で沸き立ったという。


・めかけの数を多く修正することによって、
人の意表をつき、
完全に逆の効果をもたらしたのである。
この逆手戦法は、
彼のもっとも得意とするところで、
政治の面でもしばしば用いている。

 

※コメント
三木さんの人間関係力は凄まじい。
現代でも通用するコンセプトである。

 


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