◆鮎川義介『私の履歴書』を読み解く
鮎川は、日産コンツェルンの創業者。
※要旨
・昭和20年8月、終戦の詔勅を拝した私は、
再建日本の構想を義済会の研究にもとづき実行に移した。
それは帰還軍人の再教育機関を作り、
彼らの手によって全国の農村を小規模工業化する計画である。
しかし、GHQから差し止められ、
資金も取り上げられ手も足も出ないようにされた。
・そしてその年の暮れ、
私は準A級戦犯として「巣鴨大学」に送り込まれた。
私はそこで2年足らず「全寮生活」に
親しんだが得るところは大であった。
・卒業論文として、
「巣鴨在学中」の研究課題を考え抜いた。
今後の国づくりは「道路」「水力」「中小企業」の
3本柱であることに結論を得た。
・このごろの世相を見ていると、
つくづく考えさせられるものがある。
自然界の陰陽の調和によってうまく運営される、
という思想が大昔からあるが、
この摂理は今も人間社会に適用する。
・男は陽で女は陰、
父親の権威と母親の慈愛の調和によって
子供は立派に育つわけであるが、
その調和が破られると子供の根性が
ゆがめられる。
・ムチとエサの使い分け、
権威と慈愛の調和、
これこそが人づくりの要諦である。
・私たちの目の黒い間でさえ、
身辺の事柄が新聞雑誌に誤り伝えられる
という世相、それは誰しもが経験していると思う。
・私の大叔父にあたる明治の元勲・井上馨侯爵についても、
海音寺潮五郎は候を『悪人列伝第四巻』におさめ、
司馬遼太郎は、
「貪官汚吏の巨魁として悪名を残した」
と記した。
・私は少年期から候の謦咳に接し、
壮年期にはしばらく候の身辺に暮らし、
親しくその薫陶を受けた人間である。
・その間の真相を見聞している私としては、
公平に批判して井上馨さんは不正のできる人ではない、
むしろ律儀な正直者の親分といった方が
当たっていると思う。
※コメント
壮大な発想力に驚きを禁じえない。
いつの時代もできることは
できるのだと確信した。
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