◆鹿島茂『渋沢栄一、算盤篇』を読み解く


※要旨


・豪農の家に生まれた渋沢栄一は、一橋(徳川)慶喜に仕え武士となり、
慶喜の弟である徳川昭武とパリ万博への参加を命じられる。
そしてパリの地で「資本主義のシステム」の本質を見抜く。


・幕府が崩壊したためやむなく帰国、不本意ながら仕えることになった新政府で、
「円」の導入など金融政策に次々関与する。
明治6年、本当の国力をつけるためには民間の力が必要だと考えた渋沢は、
大蔵省を辞め、「民」を育成するための生涯を送ることになる。


・資本主義というのは、自己利益の最大化を狙う人間たちが、
参加するバトル・ロワイヤルのようなものだ。
しかし最終的勝利者になるのは、どういうわけか、強欲一辺倒の参加者ではなく、
モラルを自分の商売の本質と見なす渋沢栄一のような参加者と決まっている。
理由は簡単で、そのほうが永続的に儲かるから。


・渋沢の大きな功績は、一身にして立案者と実行者を兼ねて、事業を推進したということだ。
彼には思想家である側面と行動家としての側面を結合するユニークな才能があった。


・なぜ、渋沢だけが資本主義のシステムを理解できたのか。


・彼がフランスで得た知識の根幹は何だったのか。


・資本主義を受け入れるだけの下地を渋沢はすでに持っていた。


・彼の経済感覚を高めた帰納法的教育。


・彼の父は、藍を栽培したり、他の農家から藍の葉を買い上げ藍玉を製造し、
信州や上州の紺屋に送って、半年後に代金を回収する仕事だった。
渋沢はその仕事を手伝い、経済感覚を身につけた。


・渋沢の場合、尊王攘夷思想という自分に似合わぬ衣装を脱ぎ捨てた後には、
父晩香から譲り受けた健全な商業的合理精神により形づくっていた。


・つまるところ、財政や金融の根本は「誠」すなわち「信用」にあるということである。


・サン=シモン主義の核心は、「富の生産を促進することが社会の重要な任務である」ということ。
渋沢はフランスでそれを学んだ。


・サン=シモン主義の三種の神器「株式会社、銀行、鉄道」。


・金銭の流れによって鉄道と運河、大洋航路と都市内交通、ガス、水道などのインフラが整備され、
今度は、モノと人が流れるための通路ができあがる。
これもモノと人の流通を革命の第二段階とするサン=シモン主義の理念そのものである。
鉄道、運河、および諸交通を、社会変革のもっとも重要な手段に数えるのがサン・シモン主義の特徴である。


・徳川昭武の会計と書記を担当した。


・本場パリで「社交」を学ぶ。


・社交は対立を和らげ、理解を深める潤滑剤というこの発想、
これもまた渋沢がパリから持ち帰った。


・時代の水準を超えた経済的頭脳。
渋沢の頭脳とは、ひとことで言えば、システムを見抜く頭脳である。


・渋沢は、サン=シモン主義者と同じ思考法をもっていた。


・官民の差別がなく、まっとうな利潤追求の行えるこの理想の社会を実現するにはどうしたらいいか。
渋沢の見出した答えは、今日の我々からすると意外だが、
「合本組織」すなわち株式会社という制度であった。


・経済の発展に不可欠な鉄道網の整備。


・会社は社会変革の最も重要な武器である。


・賭博性、投機性は商業人に必要な要素。


※コメント
経済や会社、ビジネスを考える時、渋沢の思想を振り返ってみたい。
なにかインスピレーションをもらえる。

 

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