◆児玉博『村瀬二郎の「二つの祖国」:日本株式会社の顧問弁護士』を読み解く

 

※要旨


・彼は、最も善良な米国人であると同時に、
最も美しき日本人でもあった。
戦争前夜と言われた日米通商摩擦で、
日本を救ってくれたのは、
日系二世の米国人弁護士だった。


・大和魂とアメリカン・スピリッツの
両方を体現した男の感動人生。


・2014年、
ある日系人弁護士がニューヨークの病院で
静かに息をひき取った。
その名を「村瀬二郎」という。
86年の生涯だった。


・1960年代、
日本は敗戦の焦土から復興し、
日本企業はアメリカを目指した。
よちよち歩きの日本企業をアメリカで、
さながらベビーシッターのように世話を焼き、
育てたのが村瀬だった。


・村瀬は誰もが認める成功者だった。
有力政治家、大物財界人などにも
直接電話一本で話ができた。
一時は、日米だけでなく欧州の企業も含め、
顧問先は300社を越えた。


・1975年、通産省からニューヨークの
日本貿易振興機構(ジェトロ)に、
産業調査員としてある官僚が着任した。
のちに「ミスター通産省」と呼ばれる内藤正久だ。
当時、37歳。


・産業調査員とは通産省職員の立場では
できないような調査や研究を民間人の立場、
つまりジェトロに出向するという形をとって行う制度だ。


・産業調査員は潤沢に資金を与えられ、
地元の弁護士を雇うことや、
アメリカ政治では必要不可欠なロビイストを
雇うこともできた。


・内藤は、親しくなったマルムグレンに相談した。
何をしてよいか分からない内藤に、
彼はこうアドバイスした。

「何か問題が起きた時、公式の交渉チャンネルの他に、
感情をぶつけ合えるような
非公式の交渉チャンネルを持っていることが
我々にはとても重要です。
それを『バックチャンネル』といいます。
アメリカは、フランスや英国とは
バックチャンネルを持っている。
けど、日本とは持っていません。
ミスター内藤は、
このバックチャンネルを作る努力をしてみてはどうですか」


・バックチャンネル。
内藤が初めて耳にする言葉だった。


・ニューヨークにやってきた内藤は、
ある日本人会の会合に顔を出した。
そのときに紹介されたのが村瀬だった。

「内藤さん、あなた、バックチャンネルになりなさいよ」
日本でマルムグレンから
言われた言葉が村瀬の口からも出た。


・村瀬は内藤にこう説いた。
これから日本とアメリカとの間では
通商問題がますます顕在化して来る。
そのとき、一切極秘で日米間の本音の話ができなければダメだ。
本音で話し合えなければまた不幸な戦争になってしまう。


・安倍家との二代にわたる約束。
村瀬二郎と安倍晋三の父・晋太郎とは、
旧知の間柄だった。
村瀬家、安倍家ともに二代にわたっての付き合いとなる。


・さらに、二郎は晋太郎とある約束をしていた。
どういう約束か。
それは、自分がこの世を去ったあと、
息子の晋三が選挙に出馬したら、
応援に行ってやってくれというものだった。


・1993年、総選挙に
後継として晋三が立候補した。
二郎は晋太郎との約束を果たすべく、
ニューヨークから安倍の選挙区に駆け付けた。


・安倍晋三もニューヨークなどに
出向いたときは必ず二郎の元を訪ねては
恩に報いた。
2013年の秋、この時も晋三は
二郎のために時間を割いて訪ねてきた。
二郎はわざわざ訪ねてくれたことをたいそう喜んだ。

 

 

※コメント
経済と外交には、表舞台と
裏舞台がある。
両方をわかる人間でありたい。

 

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