◆清瀬一郎『秘録・東京裁判』を読み解く
★清瀬一郎、略歴。
→1884年、兵庫県生まれ。
京都帝国大学卒業後、弁護士を経て政界に入る。
→極東国際軍事裁判では日本人弁護団副団長、
東条英機の主任弁護人として
戦争裁判の不当をつく。
→政界に復帰後は改進党幹事長、
日本民主党政調会長、第三次鳩山内閣文部大臣、
衆議院議長などを務める。
弁護士としても著名。
1967年没。
※要旨
・弁護申し出る人がなく。
・私の友人から
「なぜ君が東条の弁護を引き受けることになったのか。
君は昔、田中義一大将をやっつけてから、
陸軍の連中とはあまりよくなかったのではないか」
というような質問を受けることがあった。
・だから私事にわたるようなことだが、
一度書いておくほうがよかろう。
・戦争の末期に陸軍法務中将大山文雄君の発起で、
陸軍省に国際法の顧問団を嘱託したことがあった。
・われわれは一週間に一ぺんぐらいで、
ウェストファリア条約から後の終戦条約、
わけても第一次欧州戦争を終結させたベルサイユ条約などについて、
綿密な研究を続けたのである。
・私は、一人で弁護をやろうかと思っていたが、
GHQのほうでブルーエット氏を推挙してきた。
・そのことを東条被告に伝えると、
東条は次のように述べた。
→「米人弁護士が、本気で自分を弁護するだろうか。
君ひとつブルーエットとかいう人に会って、
弁護の条件について話してみてくれ。
自分には法廷で陳述することが、3つある。
これに同意ならば、弁護を受ける。
その一つは、大東亜戦争は自衛のための戦争であったということ。
その2つは日本の天皇陛下には、
戦争についての責任がないということ。
その3つは大東亜戦争は、
東洋民族解放のための戦争であったということである」
・昭和41年、読売新聞の文化部記者が
私の事務所に訪ねてきて、終戦時や東京裁判の思い出を
書いて下さらぬかと申し出があった。
・ともかく、当時あったことで、
世人がよく知らない部分を、
ありのままでよいからぜひ執筆願いたいと言われるので、
とりあえず4、5回分の回顧録のようなものを
作り上げた。
※コメント
歴史はさまざまな細かい出来事の積み重ねだ。
その舞台裏をできるだけ探りたい。
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