◆大塚英志『大学論、いかに教え、いかに学ぶか』を読み解く


大塚氏は、まんが原作者であり、神戸芸術工科大学まんが表現学科教授。
彼は学生時代、柳田國男の直系門下生であった千葉徳爾氏に師事している。


※要旨


・「方法」のみを教えることが、
「描くべきもの」を逆に導き出すことが表現になるのだと僕は思う。

 

・理論は身体で覚える。


・海外の映画関係者が面白がる「日本のまんが」の本質は「萌え」キャラなどではなく、
紙のメディアの中で畸形化した「映画の方法」にこそある。


・千葉徳爾の教育方法。
筑波大学に入ったとき、オリエンテーションがあった。
観光バスに乗って筑波一帯をプチ観光する。

バスガイド役は教員であり、ぼくの乗ったバスのガイド役はたまたま千葉先生だった。
千葉先生がマイクを握るや否や、「アレ」が始まったのである。

「窓の外を見なさい。
なぜ、あの家の屋根はあのような形をしているのか。
なぜ、あの小山に一本だけ高い木があるのか。
なぜ、あの祠は三本辻にあるのか」

ただの田舎の風景にしか見えない窓の外の景色の一つ一つの細部について千葉先生は「問い」を発し、
そして自ら答えていく。

 

・バスから降りれば村に入っていって、「なぜ・・・」と問いは無限に続いていく。
しかし不思議なことにそうやって一日、千葉先生のバスに乗った学生達の大半は、
自分たちは「ミンゾクガク」をやろうと、すっかり決意してしまったのである。


・千葉先生はその後も、ヒヨコ学生を捕まえて、自分の出張やフィールドワークに同行させるのである。
そして車中でも「アレ」、つまり質問責めがずっと続く。

ヒヨコ学生たちは一体、自分が何を問われているのかさっぱりわからず、
ただ呆然としているのだが、そのうち風景の中に「特異点」があることを知る。
そのポイントを見つけると、その背後には膨大な意味が隠されているらしい、ということに気づく。

そして特異点の発見と背後の意味の読み取りを行うには自分たちはあまりに無知だとも悟る。
つまりちゃんと、学問をしなきゃ、とだけは思うようになる。

 

・千葉先生がぼくたちにこのようにして教えようとしたのは、
実は「柳田國男の方法」であったことに僕たちが気づくのは、もう少し後のことだ。

 

・柳田や千葉の方法は、よく言われる「神は細部に宿る」ということの実践だ。


・千葉先生が鬼籍に入られて数年後、同期の者が久しぶりに集まって先生の墓参りをした。
そのとき、関西の大学で民俗学の概論の授業を受け持っている友人がこう言った。

「どうやって今の子に民俗学教えたらいいか考えて、結局『例のアレ』しかないんだって思ったよ。
学生連れて外に出て、そして指差して、君たち、これは何かねって聞く」

そう言って笑った友人の姿が千葉先生に重なる。

 

※コメント
大塚氏いわく、千葉先生に学んだ知識は覚えていないが、
ものごとの見方、理解できる思考のあり方は身についているとのこと。

千葉氏も柳田氏も、フィールドワークをしながら、膨大な文献を読んでいたそうだ。
柳田氏は、学生が「ここがわからないです」と聞くと、その答えを発するのではなく、
「○○という文献にその説明が書いてある」と文献を紹介したそうだ。
畢竟、独学に優るべきものなし、といったところであろうか。

 

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