◆立川志らく『志らくの言いたい放題』を読み解く
※要旨
・師弟が死んだらそれで
師弟関係は終了かというと決してそんなことはない。
価値観の共有できる弟子の身体に降りて、
落語への未練を師弟共々解消していくのが伝承芸能であると私は信じている。
→弟子の身体から師匠が消えた時に、
初めて目的を達成するのである。
・私のこれまでの著書は本書も含めて、
とにかく談志というワードがたくさん出てくる。
談志で商売しやがってと言われたこともある。
しかし、私は談志原理主義であるのだから仕方がない。
・私は志ん生の落語は、凄まじくたくさん聴いている。
でも、生では聴いていない。
だからそこにノスタルジーはない。
・師匠のようになれるはずがないと思った時点で、
芸の進化は足踏みを始める。
そして、なれるはずがないと決めたところで、進化はストップしてしまうのだ。
・私は師匠への恩返し、
そして落語を滅ぼさないためにも進化し続けるつもりだ。
そのために、今から師匠の排除を始めた。
具体的にはまず執筆物からの排除。
・私の場合は、ときには談志から
「似たような価値観を持っている」と評され、
ときには「落語をなめている」と叱られ、
「このへたくそめ」と罵られ、
「でも才能だけならば落語家の中ではこいつが一番」とほめられ、
その言葉を信じ、喜んでほうぼうに吹聴しまくり、
我こそが談志イズムの継承者だと自負し、
多くの敵をこしらえつつも多くの客と文化人に支持されてきた。
・「わからない人にはわからない」という閉鎖性。
・落語のおもしろさ、凄さは、
わからない人にはどう説明してもわからない。
・落語界において前座の修業場所は寄席だ。
一年365日、寄席に通い、楽屋仕事をしながら、
お囃子の太鼓、着物の畳み方、着せ方を覚え、
大勢の先輩の落語を聴き、開口一番で高座に上がらせてもらい、
だいたい五年ぐらいの年期で二つ目に昇進できるのであった。
・落語はわかる人だけわかればいい。
・それの全部を説明していたら落語なんか到底やっていられない。
私の結論は、だいたいわかればいい、である。
・師匠が好きな映画は全部観たかった。
・私にも弟子がいるが、彼らにも同じ基準を課している。
しかし、どこの世界でも同じだが、
やらないやつは本当になにもやらない。
→自分ではそこそこやっているつもりだろうが、
たとえば、当人のやっている量を200ミリリットルのコップだとすると、
私の希望している量は50メートルのプールなのである。
本当は琵琶湖ほどやっていただきたいのだが、
常識の範囲でプールだと考えている。
・談志に、弟子の志らくが言った最高の言葉がある。
「映画とナツメロに興味のないやつは談志の弟子である資格がありません」。
→私の弟子にも、まったくあてはまる言葉だ。
駄目な弟子は、つまりは師匠に興味がないのである。
※コメント
師匠からの学びは、いろいろな分野に応用できる。
どの世界でも
この方法は参考になる。
どんどん師匠を真似したい。
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