◆小泉純一郎『決断のとき』(その2)を読み解く(構成:常井健一)
※要旨
・郵政解散に踏み切る2日前。
森喜朗さんが公邸に訪ねてきた。
1時間半ほど話し込んだ。
・私は「郵政民営化はオレの信念だ。
いつ殺されてもいいと思って仕事しているんだ」
と言って、衆議院解散の意志は譲らなかった。
森さんは、
「変人どころか変人以上だよ」
と言い残して帰っていった。
・私は、初当選同期の山崎拓さん、加藤紘一さんと
連携していた。
三人の頭文字にちなんで、「YKK」と命名した。
・YKKの3人は、
1週間に1度くらいのペースで料亭やレストランで
酒を酌み交わしながら懇談を重ねていた。
・加藤さんは政策談義が好きで、
私と山崎さんはもっぱら世間話や雑談が中心で、
どちらかといえば二人で聞き役に回っていた。
・最も国対に相応しくない男。
・1988年の竹下内閣の消費税国会。
自民党の国会対策委員長が渡部恒三さん、
わたしが国会対策・筆頭副委員長、
官房長官は小渕恵三さん、副長官が小沢一郎さん。
・私は就任前、
自分が国会対策の職には合わないとわかっていたので、
同じ派閥の安倍晋太郎幹事長には
「政調副会長になりたい」
とお願いしていた。
・だけど、安倍さんに
「いい勉強になるから」と言われて、
渋々、引き受けることにした。
渡部さんには
「清和会(安倍派)は一番国対に相応しくない人間を連れてきた」
と言われた。
・国対幹部というのは、
野党の国対委員長を相手に昼間は国会で対立、
夜は料亭で各党別々に接待する。
当時の野党は自民党に対して強く抵抗していたが、
毎晩のごとく、呉越同舟で仲良く懇談するのだ。
・朝早くから、昼間はずっと国会議事堂の中にある
自民党の国対部屋にいないといけない。
誰もいないと必ず野党に文句を言われる。
・社会党は大出俊さん、公明党は市川雄一さん、
民社党は中野寛成さん。
そのかたがたを料亭に別々に呼んで、
酒を飲みながらバカ話をする。
大した話は一切しない。
それが大事なのです。
・なかにはあちこち会合を掛け持ちして、
夜遅くなって来る人もいた。
渡部さんと「今日は来ないかな」と話しながら、
待ちぼうけを食らうことは当たり前。
・国対の仕事を通して、
いろいろな人間模様も見られ、
とても勉強になった。
※コメント
政治は人間の営みである。
そのためビジネスも政治も
人間をよく知ることが大事だ。
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