◆岡崎守恭『自民党秘史、過ぎ去りし政治家の面影』(その1)を読み解く
岡崎氏は、かつて日経新聞の政治部記者だった。
※要旨
・今の政治記者はつまらないだろう。
国民は、有権者はもっとつまらない。
政治にとって一番、危険なのは「飽き」と、
そこからくる「無視」である。
・「政策」が大事だという。
その通りである。
が、政治の基本は「人」である。
・一昔前、永田町には、
というより自民党には「人」がいて、
いろいろな「顔」が見えた。
・「顔」がしっかり見える政治だった。
もちろん、とんでもない「顔」もあった。
しかしノッペラボーと金太郎飴ばかりよりましである。
・国会はかつて学歴不問の「職場」だった。
猛獣もいれば、猛獣使いもいた。
・ヤマテーの矜持。
・夜討ち朝駆けは政治記者の常だが、
政治家の中には自宅では絶対には記者と会わないという人もいる。
自他ともに自民党税制調査会のドンを任じていた
山中貞則(やまなか・さだのり)もその代表格だった。
あだ名は、「ヤマテー」か「テーソク」。
・「ヤマテーはダメだ。
行ったらどやしつけられて大変な目にあうぞ」
というのが歴代の先輩記者かたの引き継ぎだった。
・山中は、党税調で消費税の論議を開始したとき、開口一番、
「全員、落選の覚悟で議論しろ」
と言った。
・その言葉通り、自身が導入を決めたあとの
1990年の総選挙では、落選の憂き目を見た。
多くの人は山中に同情したが、
これこそが「男、山貞」の神話を生み、
その後も税調のドンの名をほしいままにできた。
・次の1993年の総選挙で、
72歳の山中は堂々のトップ当選で復活し、
党税調の最高顧問となる。
・「政府税調を軽視しているのではない。無視しておる」
「税のことは50年しかやっていないので、よくわかりません」
山中は、
言いたい放題だが、誰にも逆らえない高みに位置した。
・2001年に小泉純一郎が構造改革を掲げて、
政権の座についた。
構造改革はおのずと税制改革にもつながる。
当然、小泉も山中の事務所にわざわざ足を運んで、協力を要請した。
・時の総理の来訪だが、こうした場合、
あえて敬意を表さないで、小ばかにするようなことをいうのが山中だ。
ところが小泉への言動は控えめだった。
なぜか。
山中は小泉が好きだったのである。
・小泉は自民党内では数少ない大蔵族。
衆院大蔵委員会にも宴会などの自分の用事でサボったり、
抜けたりする議員が多い中で、
若手議員のころの小泉は、きちんと出ていた。
・これが山中のお眼鏡にかなった。
小泉の父である純也が鹿児島出身であったことも
気に入ったのだろう。
・ひっとすると、小泉にとって財政や税制よりも、
「鼻っ柱の強さ」の方が山中の直伝だったのかも知れない。
※コメント
おもしろい。
かつての政治家たちは人間的に面白い。
いまもそういう政治家はいるのかもしれないが、
昭和の人は魅力的だ。
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