◆玉置悦子『ウォルト・ディズニー:創造と冒険の生涯』を読み解く
ボブ・トマス著

 

 

※要旨


・ウォルト・ディズニーは、とびきり話し上手であった。


・彼は、人間の心をとらえる一種神秘的な力を備えていた。


・事実、彼は何度か失敗を経験したが、
考えてみれば、あれだけ多くのことをやって
失敗がまったくないというほうがおかしい。


・しかしながら、彼は徹底的な楽観主義者であり、
失敗の経験も、業界の大勢の厄介者をも、
まったく意に介さなかった。


・彼は、映画製作者としての30年間に学び取った技術と
シューマンシップのすべてを、
ディズニーランドに注ぎ込んだのである。
彼の考え方は、映画の手法を土台としていた。


・彼は少年時代、来る日も来る日も、朝と夕、
新聞配達を続けた。
6年間のうちで休んだのは、病気の4週間だけであった。


・遊園地建設の構想は、ディズニーの心の中でだんだんと膨らんでいた。
彼は、群や州が主催する農畜産物の見本市や、サーカス、カーニバル、
国立公園などを見てまわり、どんな出し物が、なぜ人気を呼ぶのか、
客は楽しんでいるのか、それとも損をしたと思っているのか、
などをつぶさに観察した。


・コペンハーゲンのチボリガーデンを見たときは、
やる気がよみがえった。
ゆきとどいた清掃、鮮やかな色彩、納得できる料金、
陽気な音楽、おいしい飲食物、温かな感じで礼儀正しい従業員、
こうしたすべての要素が溶け合って
一つの楽しい世界を作り出していた。


・1953年9月、ある土曜日の朝。
美術アーティストのハーブ・ライマンは、
ウォルトに呼ばれた。

「ハーブ、僕たちは遊園地を作ることにしたんだ。
兄のロイが、そのパークの資金繰りで月曜にニューヨークへ行く。
ビジネスマンたちに、ひと目でパッとわかるようなものを見せてあげたい」


「そうですね。図面はあるんですか。ちょっと見せてくださいよ」


「実はね、それを君に描いてもらおうと思ってたんだよ」


・ハーブライアンはびっくり仰天したが、
結局、この仕事を引き受けた。
彼はさっそく作業にとりかかった。
今までできあがっているスケッチや計画書、
そしてウォルトが口で説明するディズニーランドの情景などを土台に、
空中から見たパークの完成予想図を描きあげていった。

 

 

※コメント
波乱万丈なウォルトの歴史は、凄まじい。
その想像力が、彼のビジョンを現代まで継続させている。


★玉置悦子・訳『ウォルト・ディズニー:創造と冒険の生涯』

ボブ・トマス著

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