◆本村凌二『馬の世界史』を読み解く

 

※要旨


・チンギスハン死後、その子孫たちは、
ユーラシアの東へ西へと征服活動を繰り広げた。


・ヨーロッパ人にとって、
モンゴルはことのほか残虐な野蛮人という印象が強い。


・とくに、1241年、ワールシュタットの戦いで
ドイツとポーランドの連合軍がモンゴル軍に敗れたことで、
恐怖は頂点に達した。


・ワールシュタット(死体の地)という名そのものにも
その痕跡があるが、ヨーロッパ人の恐怖を物語る根拠には
事欠かない。


・モンゴル帝国の支配を「タタールの平和」
と呼ぶことがある。
「タタールの平和」のもとで、
ヨーロッパの中国を結ぶシルクロードの往来が
ふたたび活発になったことは否定できない。


・そもそもチンギスハンは、なぜ征西に乗り出したのだろうか。
機動的な軍事力をもつ騎馬遊牧民は、
もともとオアシス国家群やそこを往来する隊商と
もちつもたれつの関係にあった。
現代風にいえば、モンゴル軍は商業資本を保護しながら
その財政力を頼りとしたのである。


・その頃、西アジアを中心に広大な商業圏を誇っていたのは、
イスラム勢力であった。
だから、その商業圏を解体することによってこそ、
大覇権の土台となるモンゴル商業圏を
築くことができるのである。


・アレクサンドロス大王が歩いた手本どおりに、
重要な市場をおさえながら、
それらを結ぶ枢要な交易経路を進んでいったのである。


・中央ユーラシアの物流と通商は、
もともとソグド商業の伝統につらなるイスラム商人と
トルコ系のウイグル商人が担い手であった。


・モンゴルのめざましい軍事拡張の裏には、
これら二群の国際商人団がひかえていた。
彼らは、情報の収集やら資金や物資の調達やらに
熟達しており、財務や徴税を代行することもあった。

 


※コメント
馬と人間の関係は長い。
さまざまなやり取りがあり、
多くのドラマが生まれた。


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