◆渡邊忠司『町人の都、大坂物語:商都の風俗と歴史』を読み解く

 

 

※要旨


・豊臣秀吉の城下町として誕生した大坂は、
江戸時代、「日本国の賄所と云、また台所ともいへり」
と称される全国の物資集散の地として繁栄を誇った。


・「商人は神のごとし」
といわれるほどその富力が大名をも凌ぐ大商人、
日用雑貨や魚・野菜を振り売りする小商人、
あるいは職人が主役となって躍動する大都市であった。


・本書は、近世の武士社会にあって、
江戸とは異なる大都市のざわめきの中で
暮らす人々の生気あふれる姿を、それ歴史に捉える。


・大坂の繁栄の基礎は、米商いである。


・大坂三郷の食品流通ルートは、
仲買や問屋・仲間を基軸に組み立てられていた。
野菜は天満(てんま)青物市場に集められ、
八百屋問屋の手を経て三郷に供給されていた。


・同様に鮮魚は雑魚場(ざこば)魚市場を経て、
また米は堂島(どうじま)米市場から米仲買の手によって
市中に供給されていたのである。


・大坂には米や野菜や魚、あるいは日常の必需品を提供する、
三大市場を基軸にした流通ルートとそれ以外の職商人らの
流通ルートがあったようである。


・近世の大坂はただ金儲けの商人たちだけの町ではなく、
文化・文芸の香り高い町でもあった。


・商人の顔と文化人の顔を使い分け、
ここに経済的実力に裏付けられた大坂町人の気質と、
自治意識が現れるようである。


・商人と文化人の顔を使い分ける大阪商人。
政治的に無関心であるようにみえながら、
実は政治の根幹をなす経済をしっかり押さえている。


・また儲けた金を文化・芸術に費やし、
文化的素養を身につけ、
利益を追求する商人の感覚からすればずいぶん無駄なことをやっているが、
将来には採算はきっちりと合わせるのが大坂の商人であり、
町人である。


・大坂商人は意図的に、
家を守り店を守るための家訓や店則を作成するようになった。
それは新興町人と呼ばれる住友や鴻池など
近世的な商業流通網に対応した経営形態を備えた商人たちである。


・才覚と始末、倹約と質素、利殖のうまさ、
合理的な経営など、
大坂商人の特色は、
淀屋の闕所を契機とする家訓の制定からのこととされる。

 

 

※コメント
大阪の歴史は古い。
だからこそ、掘れば掘るほど、
面白い話がザクザクと出てくる。
楽しい町だ。


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