◆岩瀬昇『日本軍はなぜ満洲大油田を発見できなかったのか』を読み解く

 

※要旨


・一次エネルギー資源の供給を
海外に求めなくてはならない日本にとって、
世界貿易が妨げられない状態、
つまりは世界が平和であることが極めて重要だ。


・外交政策はこの認識に基づいて、
国民の総意として立案のうえ
実行されるべきである。
それこそが国策である。


・そうはいっても、
世界はいつも平和であるという楽観論に
立つことはできない。
やはり、時に「非常時」が起こることを
前提に織り込んで考えるべきである。


・石油開発が「ハイリスク・ハイリターン」であり、
ビジネスサイクルが非常に長い点は、
現在も変わりはない。


・石油、いやエネルギーに関しては、
太平洋戦争当時の日本を取り巻く基本骨格が、
現代もなお変わっていないという事実に驚かされる。


・日本は、昔も今も、
石油を始めとする一次エネルギー資源を
ほぼ持たない「持たざる国」なのだ。
そしてまた、非常時がいつ来るか、わからない。


・昭和16年4月、
米国との経済と戦力の比較調査が行われた。
新庄健吉陸軍主計大佐は、
陸軍省軍事課長の岩畔豪雄大佐と同じ船で渡米し、
三井物産ニューヨーク支店内に
事務所を構えて米国の経済力調査を行った。


・新庄は、陸軍経理学校、東京帝国大学経済学部で
学んだ経歴だった。
新庄は公に入手可能な資料、統計などを駆使して、
米国経済力を分析し、
およそ3ヶ月後の7月中旬、報告書をまとめあげた。


・新庄は報告書の最後のまとめに
次のように記した。
「日米両国の工業力の比率は、
重工業において1対20。
化学工業において1対3である。
戦争がどのように進展するとしても、
この差を縮めることが不可能とすれば、
少なくともこの比率は
常時維持されなければならない」

「そのためには、戦争の全期間を通じて、
米国の損害を100%として、
日本側の損害は常に5%以内に留めなければならない。
日本側の損害が若しそれ以上に達すれば、
1対20ないし1対3の比率をもってする戦力の差は
絶望的に拡大する」


・ワシントンの日本大使館にいた岩畔は
新庄報告を読んで、
直ちに帰国して関係部署に説明することを約した。
岩畔は7月31日にワシントンを立ち、
8月15日に横浜に上陸した。


・岩畔の『速記録』によると、
説得してまわったのは、
陸軍参謀本部の部員以上全員、
海軍省および軍令部の主要な局部長以上、
宮内省首脳部、外務、大蔵の各大臣、
企画院総裁、陸海軍大臣、そして近衛総理などだった。


・だが、岩畔自身の言葉によれば、
「ドイツ便乗論」「精神力の過大評価」「天佑神助の空頼み」
によって、戦争突入の決意を固めていた政府、軍首脳の考えを
変えることはできなかった。


・陸軍省が秘かに行った「秋丸機関」による
敵味方の経済抗戦力調査でも、
参謀本部の指示に基づいて新庄大佐が
アメリカで行った経済力調査でも、
内閣直属の総力戦研究所によるシュミレーション結果でも、
戦争をしたら日本に勝ち目がないことは歴然としていた。
統帥権を握る陸海軍と、
軍事以外の行政すべてに責任を持つ政府からなる
大本営政府連絡会議のメンバーたちも、
その事実は知っていた。

 

※コメント
歴史を勉強することは、いまを学ぶことだ。
過去と今は、確実につながっている。
そこから読み取ることは多い。


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