◆成田豊・元電通会長『広告と生きる:私の履歴書』を読み解く
※要旨
・広告ビジネスは年々大掛かりになり、
権利関係や金銭的な利害が複雑に絡み合う。
広告会社は黒子として、調整役を担うことも多い。
24時間365日、気は張り通しだ。
・夜は毎日のように営業や接待、
打ち合わせがある。
仲間と酒を酌み交わしながら、
広告ビジネスのあるべき姿を求め議論も交わした。
・しかし朝は毎日、会議があった。
朝8時から開催で遅刻は厳禁。
取引先の出社前に社内の会議は終えてしまうのが、
昔も今も電通の習慣だ。
「這ってでも定時には会社に来い」
と先輩からはきつく言われた。
・かつては上司から、
「接待はしてもされるな」
「人脈をどんどんつくれ」
とも命じられた。
営業のきっかけをつくるため、
大物経営者を高級なバーで待ち伏せることも多い。
これらの経費はすべて自腹だった。
・私が入社したときの地方部長は、
石川喜美次という人だった。
彼は京都大学卒業後、1939年に入社し、
吉田秀雄の薫陶を直接受けた。
・石川は自分の部下を将来、
電通を担う人間になるよう育てあげることに、
人一倍の情熱を燃やしていた。
われわれ部員は厳しく鍛えられた。
・彼は勉強家でもあり、
朝の会議は資本論から労働価値説、
相場を見るときの黄金分割比率まで、
大学の講義並みの内容だった。
われわれにも常々、
「知らないことは知らないと言え。
知らなければ学べばいい」
と語り、勉強することの大切さを説いた。
・電通は、パーティでも必ず全社のビールを用意する。
社内の設備でも同じで、たとえば電話もパソコンも
プリンタもメーカーは部署ごとにバラバラだ。
現在の本社ビルではエレベーターも
複数のメーカーのものを採用した。
・根っこをつかむ仕事術とは。
・広告ビジネスに関して振り返るなら、
ロス五輪の経験を通じ、私は、
「権利の根っこをつかむ」
ということの大切さを思い知った。
・広告主に対し、最適、最上のサービスを提供するには、
「代理店」という立場ではできることに限界がある。
主催者と一体となって動くことで、
広告の企画や手法、スポンサー企業への提案、
メディア戦略など、さまざまな面で自由度が増す。
できることの幅が広がればアイデアも
次々に湧いてくるという好循環が生まれる。
・電通は、オリンピックに続き、
サッカーで国際サッカー連盟(FIFA)と、
また世界陸上では国際陸連と、密な関係を築いていく。
そうした国際スポーツビジネスの出発点は、
ロス五輪での経験にあった。
・企画と営業で成り立つのが、博覧会ビジネス。
・石原裕次郎が設立した石原プロモーションも、
日本のテレビや芸能の世界を支えてきたプロダクションの
代表格といえる。
上下関係や礼儀に厳しく、
現場の関係者への心配りや、
ファンへの接し方やサービスにも
非常にきっちりしたものがある。
仕事で接する機会があるたびに感心させられる。
・これは渡哲也社長の人格もさることながら、
代表取締役専務の小林正彦氏の力が大きい。
小林氏が自身を「番頭」と称し、
自ら謙虚な姿勢を示すことで、
タレントたちを厳しく教育しているからなのだろう。
※コメント
今でこそ、電通といえば知名度もあり、
多くの学生が就職を目指す人気会社だ。
しかし、そこまでになるには、
多くの努力があったようだ。
戦後、広告会社の地位は低かった。
★成田豊・元電通会長『広告と生きる:私の履歴書』
の詳細,amazon購入はこちら↓
◆まぐまぐメルマガ『国際インテリジェンス機密ファイル』ご紹介。
ご登録はこちらです
http://www.mag2.com/m/0000258752.html
世界のインテリジェンスに関する公開・非公開情報をお伝えします。