◆ジャレド・ダイヤモンド『銃・病原菌・鉄。(上巻)一万3000年にわたる人類史の謎』を読み解く


※要旨


・ヨーロッパ、アジア、アフリカ、南北アメリカ、オーストラリア。
それぞれの地で、人類はきわめて多様な社会を作り上げてきた。
高度な工業化社会もあれば、伝統的な農耕牧畜生活を営む人々もいる。
数千年にわたって狩猟採集生活をつづける人々もいる。
なぜ人類社会はこれほど異なった発展の道筋を辿ったのか。


・世界の地域間の格差を生み出したものの正体とは何か。
この壮大な謎を、1万3000年前からの人類史をたどりつつ、
分子生物学や進化生物学、生物地理学、考古学、文化人類学などの最新の研究成果をもとに解き明かしていく。


・現代世界の不均衡を生み出した直接の要因は、
西暦1500年時点における技術や政治構造の各大陸間の格差である。
鋼鉄製の武器を持った帝国は、石器や木器で戦う部族を侵略し、征服して、
滅ぼすことができたからである。
では、なぜ世界は、西暦1500年の時点でそのようになっていたのだろうか。


・著者というのは、分厚い著書をたった一文で要約するように、ジャーナリストから求められる。
本書についていえば、次のような要約になる。
「歴史は、異なる人々によって異なる経路をたどったが、
それは、人々のおかれた環境の差異によるものであって、人々の生物学的な差異によるものではない」


・フランシスコ・ピサロ率いる少数のスペイン軍が、インカ皇帝アタワルパの大軍に、
ペルーのカハマルカ盆地で遭遇した瞬間を、その目撃者の証言を通じて紹介しながら、
異なる大陸の民族の衝突について考察する。
われわれは、この考察を通じて、ピサロがアタワルパを捕らえることができた直接の要因を知ることができる。


・それらの直接の要因とは、スペイン人がヨーロッパから持ち込んだ病原菌であり、
馬や文字や政治機構であり、技術(とくに船と武器)であった。


・ヨーロッパ人とアメリカ先住民との関係におけるもっとも劇的な瞬間は、
1532年にスペインの征服者ピサロとインカ皇帝アタワルパがペルー北方の高地カハマルカで出会ったときである。
アタワルパは、アメリカ大陸で最大かつもっとも進歩した国家の絶対君主であった。


・そのときピサロは、168人のならず者部隊を率いていたが、土地には不案内であり、
地域住民のこともまったくわかっていなかった。
しかし、ヨーロッパ人によるインカ帝国の征服を決定づけたのは、
ピサロが皇帝アタワルパを捕らえたことである。
そのとき、アタワルパは8万の兵を有していた。




・要するに、読み書きのできたスペイン側は、人間の行動や歴史について膨大な知識を継承していた。
それとは対照的に、読み書きのできなかったアタワルパ側は、
スペイン人自体に関する知識を持ち合わせてなかったし、
海外からの侵略者についての経験も持ち合わせていなかった。


・アタワルパ側は、それまでの人類の歴史で、どこかの土地で同じような脅威に、
さらされたことについて聞いたこともなければ読んだこともなかった。
この経験の差が、ピサロに罠を仕掛けさせ、アタワルパをそこへはまり込ませたのである。


・結論をまとめると、ピサロが皇帝アタワルパを捕虜にできた要因こそ、
まさにヨーロッパ人が新世界を植民地できた直接の要因である。
アメリカ先住民がヨーロッパを植民地したのではなく、
ヨーロッパ人が新世界を植民地したことの直接の要因がまさにそこにあったのである。


・ピサロを成功に導いた直接の要因は、銃器・鉄製の武器、そして騎馬などにもとづく軍事技術、
ユーラシアの風土病・伝染病に対する免疫、ヨーロッパの航海技術、
ヨーロッパ国家の集権的な政治機構、そして文字を持っていたことである。


・本書のタイトルの『銃・病原菌・鉄』は、
ヨーロッパ人が大陸を征服できた直接の要因を凝縮して表現したものである。


※コメント
インカ帝国滅亡の話を聞いて、思い浮かぶのは、わが国の幕末維新の流れである。
幕末に、もし全く海外の様子が入っていなかったら、日本も何らかの支配を受けていただろう。
幕府もいろいろなルートで欧州のやり方について情報が入っていた。
他の藩も少なからず、それに近い情報は入手していた。
それによってギリギリのところで国のかたちを変えて、乗り切ったというところであろう。
現代においても、似たようなケースは手を変え、品を変えて、やってくる。