私は、昭和40年代“〇〇家本家”に次女として生まれました
先祖代々の敷地に家を建て直し
祖父母・両親・父の弟、そして私たち姉妹の7人の大家族で暮らしていました。
父は会社経営をしていて、ハイカラで趣味も多く
ゴルフやドライブ、海外旅行とアクティブでもあり
家にいる時は囲碁などをじっくり楽しむ人でした。
車も好きで当時としては珍しく外車にも乗っていました。
(こんな日が続けばよかったんだけど
)
お盆やお正月には、父の兄弟7人とその家族たち、総勢25名以上が集まり
日常でも親戚がひっきりなしに出入りする賑やかな家でした。
母は、その大家族の家事とお世話を一手に引き受け、いつも忙しそうでした。
(これを書いていると母は一人でよく頑張ったんだなぁと感心&幼くて手伝えずにごめんなさいの気持ちが湧いてくるー
)
幼い私は、母の大変さに気づく由もなく
そのころの私は私でいつも静かに寂しさを抱えていました。
私の母は、当時の記憶によれば、私に厳しかった。
姉と喧嘩をすれば、なぜかいつも怒られるのは妹の私。
テレビのドラマでよく聞くセリフ「お姉ちゃんだから我慢しなさい!」
と言われることは我が家では一度もなく、
逆に私だけが外に出されたり、押し入れに閉じ込められたりしていました![]()
特に、真っ暗で冷たくて怖かった納戸に閉じ込められた記憶は、今でもはっきりと残っています。
その場所は、私にとって「恐怖」の象徴になりました![]()
「あんたは川から拾ってきた」と
そんな言葉を昭和の家庭ではよくある話だったけど
その頃の私には、それが本当かもしれないと思っていた。
――母に愛されていない。そう感じていたあの頃。
数年前、そんな話をしていた時、姉が驚いたように言いました。
「えっ?そんなことがあったの?全く知らなかった
」
姉には、そんな体験はまったくなかったことにも、ショックを受けました![]()
私にとっては、傷としてずっと心に残っていました。
これが母との“確執の始まり”。
(続きます…)







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