今回は気難しい内容ですので、なるべく軽い感じでお話ししようと思います。
宮城県のHPに掲載されている外来魚の駆除に関するQ&Aを取り上げておられました。
詳細は宮城県のHPをご覧ください。
私はこのQ&Aを拝見して、バス釣りをする人と自治体、双方の意見にうなづける部分もあり、またうなづけない部分もありました。
当ブログで何度もお話ししてきたのでここでは触れませんが、私はゲームフィッシングに賛成はしていません。
(厳密には反対もしていません。)
しかし外来魚駆除はそれとは別問題。
私は大反対です。
罪のない生命を奪ってしまうことは人の道を大きく逸脱した行為。
在来種を食い荒らすのが罪だというのなら、その罪を犯させているのは私たち人間ですから人間が駆除されるべきです。
人間の勝手な都合で日本に連れてこられて、邪魔になったから殺す‥‥‥‥
魚にしてみれば、
そりゃないよ~
という気持ちでしょう。
このままでは絶滅してしまう日本の固有生物たちも少なからず。
だからといってバスたちの大量殺戮を容認していいものでしょうか。
結局、人間は責任の取れないことをしてしまって、なに食わぬ顔で自分たちの都合のいいように処理しようとする。
で、私は仕事が暇なときにハゲた頭で考えました。
外来魚を駆除せず、在来種も守ってあげられて、バス釣りをやる人もやらない人々も納得するような画期的な方法はないやろか?
現実的だとは思いませんが、ひとつ解決策が思い浮かびました。
フザケていると思って聞いてもらっても結構です。
その解決策とは‥‥‥‥
バスを
食べるのです
ゲームフィッシングの美学なるものがあるようですけれども、この際それは置いといて新しいバス釣りのスタイルを構築しなければ、いずれバス釣りは日本から消滅しかねない方向に国内全体が流れています。
実際、バス料理を出すレストランもあるし、釣ったバスをバーベキューの食材として焼いて食べた人のブログを拝見したこともあります。
食用として大変豊富な資源量ではないかと思うんですけど‥‥‥‥
以前に一度、元バスプロの知り合いに、
「バス食べてみたいから野池に連れていってくれ。」
と、お願いしたことがありましたが強く引き留められました。
野池のバスは農薬などで汚染されている可能性があるから食べちゃダメだと。
なるほど、そりゃ食べたくないですね。
大阪湾岸のチヌ・キビレすら食べたくない人々がたくさんおられるんですから。
だったら食べてもイイと思えそうな場所でバス釣りをして、持ち帰って食べる。
汚染されていそうな場所のバスは捕獲してキレイな場所に移してあげる。
そうすればキレイな場所の在来種が食い荒らされて絶滅する‥‥‥‥
アカンやん
ぃゃそうでなくて、バスを移した場所で自治体などが積極的にバス釣り&バス料理コンテストなどをやったらどうですかねぇ。
単に駆除することは、仏教的に言うと無駄な殺生です。
しかし食べるために生き物の命を奪うことを殺生とは言わない。
それが生態系の営みそのものだからです。
バスを移すと生態系が崩れますか?
外来魚が居なくとも既に崩れていませんか?
人間のせいで。
崩れた生態系をこれ以上悪化させない手段は、なにも殺戮だけに限らんでも良いのではないでしょうか。
駆除する人々も決して気持ちの良いものではないでしょうし。
バサーの皆さんは釣り場が減るでしょうけれども、共存共栄のためには適当な妥協点を見つけ出すことも必要です。
食べるバス釣りによって個体数が減る懸念がありますか?
だからこそ生態系の維持を真剣に考え、釣れるだけ釣るなどという自分勝手なアングラーが自然排除され、健全な釣り人社会が築かれるのです。
将来的には自然に対するバサーの方々の態度や人格が全釣り人の模範となり、釣りをしない人々からも立派な趣味だと尊敬の眼差しで観られることになる。
釣り人口の多数を占めるバサー諸氏には、是非そうなってほしいと本気で願っております。
バスたちも一部日本の生態系に溶け込んでいると思われますけれども、さらに溶け込ませて100年後には鮎や鯉などと同様に日本の代表的な淡水魚と認知されるよう、人類の叡智を駆使して生かす手を考えてみてもバチは当たらないと思いますよ。
勝手なことを長々と申しました。
最後にもうひとつだけ。
バスたちにもバスを釣る人々にも駆除を決めた自治体にも根本的な罪は無いのです。
最悪なのは生命を軽んじること。
己の快楽のために生き物を弄ぶこと。
人間の勝手な都合で生かしたり殺したりすること。
バスやバサーを目の敵にするのではなく、共存共栄の道を探っていくことはできないんでしょうか。
どこかの国と国が汚く罵り合っているのをテレビのニュースで観て、みっともないと感じる方も少なくないと思いますよ。
共存共栄、WIN WINでありたいですね、
何事も。