記念式のたびに気が気じゃない統治体が頭に浮かびます。
2016年も「油そそがれた者問題」が起きるのか。
もう「数字は発表しません」と言い出す予兆なのか。
ものみの塔に問題について取り上げた記事が出ました。
ご存じのように、「油そそがれた人」(記念式でパンを食べる人)が近年急上昇しています。
このままの流れでいくと、2018年には10年前の2倍くらいに膨れ上がることになります。
まず現状をグラフで見ると以下のようになっています。
図は以下のブログから
http://meletivivlon.com/2015/01/03/memorial-partakers-2014/
このままでは緑のラインを描くことが想像できます。
これはさすがにまずいだろうといことで、統治体もみんなの動揺を鎮めること
あるいは、何らかのの発言で増加の食い止めにかかるだろうと予想はしていました。
新しく出てきた2016年1月号を見ると、
研究記事で多くの節を使ってこの問題を取り上げていました。
ものみの塔を見ると、「油そそがれた者」はどうしてわかるの?
という問題について取り上げています。
みんな関心がある部分であろうはずの話題。
ところが、いろいろ書いているわりには具体的な点がいっさい出ていません。
以下の文章をみてください。
これって、キリスト教世界の信者になった人の個人的な証にはよくある話で、ある日「自分が選ばれた」「キリストから招待された」という気持ちに満たされる話。
おそらく、ものみの塔がその手の「油そそがれた」ときの話をすると
ほとんどキリスト教世界の多くの人の経験と酷似するために
書けないのでしょう。
もしかしたら、そんな話さえほとんどないのかもしれないですし。
とにかく、この油そそがれた人と大群衆の話の
不自然さに疑問を感じるべきだと思います。
つづいて、みんなに釘をさしています。
「油そそがれた」人のタブーな話題には触れるなよ。
無意識に「タブー」に意識を持たせるようにしています。
これだと疑問を抱く機会を失います。
つづいて、今後の油そそがれた人たちの増加に備えて
次の一言。
確かに いるいる。
精神的な問題のゆえにキリストと共に天で支配すると思い込んでいる人!?
感情的な問題で勘違い!?
最後、この流れで27ページから「愛はみだりな振る舞いをせず」という記事につながっていて
そこの写真をみて思わず吹き出してしまいました。
なんか、演技とはいえ、すごくヤバイ集団の雰囲気が上手です。