米国で有名な巡回・地域監督にチャールズ・シナツコという人がいます。

この人は1960年に旅行する監督に任命され、以降巡回・地域監督として各地を回りました。
この人は、ネットでの評判を聞く限り、雄弁な講演者で「録音された講演」が出回っていてそれを聞いた人も多いそうです。(当時はカセットテープ?)
この人は重みのある声と流ちょうな話し方は人を引き付ける説得力があります。
元JWの中には「彼のおかげで人生を台無しにしたよ」と言ってる人もいました。
彼の講演の一つがこれです。
良心の危機 273ページには、1975年の間違いを協会が認めないという問題について内部から批判が出ていた点が述べられています。
「皮肉なことに、最も強い批判の意見を言っていた人の中には、かつて一九七五年について熱心で、事態が非常に『差し迫っている』と論じ、先に引用したような記事を自ら書いたり、一九七五年が近づいた時に家や資産を売った人を賞賛する「王国宣教」の記事にOKを出したりした人もいた」
良心の危機 273ページ
協会の奉仕部門と密にしていたチャールズ・シナツコも協会が非を認めないことに抗議した人の一人かもしれません。
自ら率先して差し迫った終わりを論じていた旅行する監督を、あえて弁護すると、当時の協会の副会長の講話を聴けばわかるとおり、1975年に関する運動は協会が率先して働きかけていたのであり、その協会の意向(明確な筋書きであれ暗黙の意向であれ)をもっとも忠実に反映しようとしていたのが旅行する監督であったはずです。それが自分たちが暴走したかのように言われたらたまりませんね。
ここに「神の組織」という仕組みの恐ろしさを感じます。誰一人責任を感じる人がいないのです。
チャールズ・シナツコについては本人の経験談が「目04 8/22 23ページ 名声に勝るもの」に掲載されています。
http://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/102004607
彼は1993年,健康状態がかなり悪化し旅行する監督としての務めが果たせなくなったため「身体的事情を考慮されている特別開拓者」(infirm special pioneer)になったと記されています。
そしてカリフォルニア州のデザート・ホット・スプリングズという温泉が出る小さな街のトレーラーハウスパークに移り住みます。
目ざめよ!の経験談では彼が一番活躍した1970年代のことはあまり出ていませんが、自身が世俗的なものを捨てて自己犠牲的な生活をした初期の話が多く出ています。
経験談の最後の点に気になる点が出ていました。
*** 目04 8/22 23ページ 名声に勝るもの ***
3人の弟たちは異なる道を選びました。やがて物質の富を追求するようになり,現在は一人もエホバに仕えていません。
旅行する監督になったチャールズ自身以外の兄弟はみなエホバの証人を辞めているという事実をさらっと書いています。
気になるのは弟たちがエホバの証人を辞めたという話を「物質の富を追求するようになり」という単純な言葉で表現していることです。
3人の弟がみんな「物質の富を追求する」ためにエホバの証人を辞めたのでしょうか?まるで神よりも富、永遠の命より今の命を選んだみたいですが、そんな単純な話なんでしょうか?
この記述は、まさに「名声に勝るもの」という記事の主題にあうものとして協会が期待している記述そのもののように思います。
最後まで組織の忠実な番犬です。