聖書だから真理 | エホバの証人研究(ブログ)

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聖書に書かれているから事実である


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ところで以前の記事「邪悪な人々」で言及したオオアリクイやキリンやカンガルーですが,創世記の作者はその存在を知っていたのでしょうか?

さらに南極のペンギン,北極のホッキョクグマのことは念頭にあったのでしょうか?

その著者が中東以外の世界にこれほど多くの種類の動物が存在していることを知っていたなら,ノアの箱舟の話は違った内容になっていたように思えます。

そのように言える理由もあります。

古代ヘブライ語は昔から引き継がれている言語であると言われていますが,カンガルーという単語が存在しないのです。

もちろん,ペンギンやホッキョクグマ,それにコアラを示す単語もありません。要するに中東に生息していない動物を表す単語が抜け落ちているのです。

カンガルーは洪水後にオーストラリア大陸にぴょんぴょん飛び跳ねて逃げていったために呼び名が忘れられてしまったのでしょうか?

同じようにキリンはアフリカへ,オオアリクイは中南米へ急いで走り去り,忘れ去られたのでしょうか?

むしろ

創世記の筆者にとっては,当時中東に生息していた動物以外は知らなかったのではないでしょうか?

聖書の中には一見非現実的な物語のように思える部分が数多くあります。それでも,それを完全な史実であると信じるのは恐らくそれが「聖書に書かれているから」という理由でしょう。

 

聖書に書かれているから真理


(ローマ 15:4) 以前に書かれた事柄は皆わたしたちの教えのために書かれたのであり,それは,わたしたちが忍耐と聖書からの慰めとによって希望を持つためです。

パウロは「以前に書かれた事柄は教えのために書かれた」と述べました。パウロはここで「聖書」に言及しました。しかし,ここで聖書と訳されている言葉をパウロが使ったとき,それはぼくたちが考えている「聖書」と同じものではありませんでした。

当時は「聖なる書物」とみなされる沢山の書がありました。ダニエルの名前が付された幾つもの巻物。エステル記の複数のバージョンなど。ラビたちは後に「正典」を絞り込みました。

このことからわかるのは,どの時代にも「聖なる書物」を書く人たちがいるということです。彼らの目的は人を騙すためではありません。良い動機,恐らく「教えのため」に書くのです。

では,「あなたが考えている聖書(聖なる書物)だけが真理だとなぜわかるのですか?」と質問されたらどのように答えますか?

「それは聖書だからです」

それは答えになっていません。

「神がカトリック教会を導いて正しい正典選びを行われたのです」

では,あなたはそのカトリック教会が後に決定した「旧約聖書続編」をなぜ聖書に含めないのでしょうか?

それに新世界訳聖書に収められている66冊の正典は,下の挿絵にあるような西暦4世紀の教会の司教たちによる会議で話し合われました。その決定を下した人々は,三位一体を正統なキリスト教の教えとして導入した人々です。

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(挿絵:「あなたは三位一体を信じるべきですか」ブロシュアーから)

もし,神が彼らを導いて聖書正典を選ばせたのであれば,その同じ神が彼らを導いて「三位一体」の教理に至るようにされたと考えることもできるのではないですか?

正典選びだけ神が導かれたと考えるのは道理に合いません。

正典選びの過程で外された外典の書は「作り話や迷信で満ちており,間違いだらけ」(感 301ページ 14節)と述べながら,聖書の66冊に選ばれた書には作り話や迷信や間違いが一つもないと考える根拠は何でしょうか?

結局,「それは我々が聖書だとみなしたからだ」という答えに行きついてしまうのです。

 

次回予定 進化:コアラのマーチ
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