神への愛と隠れた利己心(1) | エホバの証人研究(ブログ)

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神様より大切な宝物(ソフィア)
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ソフィアちゃんの記事に関連して思い出した点を一つ。

川崎の10歳の少年の上におきた輸血拒否事件。

大ちゃん事件」として知られるこの出来事を追った「説得」という本を以前に読んだときに感じたことがあります。

わたしが感じた点を説明するために登場人物を3人に絞ります。

1.大ちゃん
2.大ちゃんのお父さん
3.聖書の神


わたしはこう考えました。

この事件のときに大ちゃんのお父さんの手術同意書へのサインによって輸血を含む処置が行われた場合,大ちゃんは永遠の命を失いますか?

この質問に対するJW的な答えは

「いいえ,大ちゃんは永遠の命を失うことはない」です。

もう少し説明を加えると

「大ちゃんが大きくなってエホバの証人になれば
ハルマゲドンで滅ぼされることもない。
お父さんの決定は大ちゃんの将来の命には無関係。」

ということになると思います。

では次の質問にはどうでしょうか?

「お父さんが大ちゃんの手術に同意したならば,お父さん自身はエホバの不興を買うことになりますか?」

JW的な答えは「はい」となります。

JW的な観点からすると,大ちゃんのお父さんは息子への輸血に同意することで神の不興を買い,もし悔い改めなければハルマゲドンで滅ぼされることになる,という答えになると思います。

そうするとお父さんの輸血拒否は「息子のため」ではないわけです。

おそらく模範的な答えは「エホバを愛しているから」ということでしょう。

エホバを愛しているから息子を犠牲に捧げたのです。

意識がもうろうとした10歳の子に『お父さんの言う通りでいいんだな』と尋ねようと,お父さんの意志によって息子を犠牲にした事実は変わりません。

この「エホバを愛しているから」という言葉。

非常に便利な言葉です。

しかしわたしはこの言葉の裏に利己心のようなものが隠れているのを感じるときがあります。


つづく・・・