「背教者に用心しなさい!」の件,つづきです。
幕張メッセで開催された大会の録音をいただいて聞きました。英語のものと比較すると話し手によって強調する点や論じ方がずいぶん違うということがわかりました。ただし話されている内容は同じ筋書きに基づいているので全体的には似たような主張がなされています。
今回はざっと印象を書きます。
ちなみにデンマークではこの大会での話に関連してデンマークの「反差別法」に違反している疑いで刑事告発される予定だそうです。詳しくは こちら をご覧ください。

話し手は序論でさんざん背教者に対する敵がい心を表現した後に ヤコブ3:14 を引用しました。
ヤコブ 3:14 「しかし,あなた方が心の中に苦々しいねたみや闘争心を抱いているなら,真理に逆らって自慢したり偽ったりしてはなりません」
これを背教した人にあてはめていました。
話し手は自らが背教者に対する苦々しい敵愾心をあらわにしていることを忘れています。恐らく聴衆として聞いている側も,ヤコブ 3:14 がものみの塔協会にもかなり当てはまるという意識は持つことはないのでしょう。
話の中で,背教者は助言を誇り高く退けると述べてました。しかし,わたしの知る限り,誇りの気持ちで助言を退ける点ではラザフォードはピカイチです。批判されたときに示すエホバの証人の態度は,それほど謙虚なものでもないと思います。(もちろん個人差があります)
ものみの塔はカトリックから背教したルターや他の宗教改革者を褒める記事を書いてきました。ところがものみの塔は自らの組織からの背教者の話になると態度が一変します。彼らに対する中傷オンパレードになります。
特定の宗派に属していた人が,その宗派の間違いに気がついて離れることはどこでも起こりえます。なぜエホバの証人やモルモン,サイエントロジーなどある種の宗派が外部からだけでなく元信者からも批判されるのか考えてみるのが良いと思います。
その批判される度合いは,その組織がどれだけ信者をコントロールする傾向が強かったのかを物語るものでもあります。

話し手は背教した人は「サタンのアシスタント(幕張の大会)」であると述べました。
ものみの塔は似たような考え方をエホバの証人の反対するすべての人に関して述べてきました。
反対意見に対して示す敵対的な態度は宗教全般にも多々見られるものではありますが,その態度を極めて強く出す宗教は結局のところ,自らの信条が批判に耐えるものではないことを示してしまっていると思います。
この点で,他の宗派が示す態度を見ると自らを客観的に分析するのに役立つと思います。
例えば,統一教会は入信した信者が家族からの反対を受けるとその家族を「サタン」扱いしてきました。その点を週刊誌に書かれた統一教会は次のように反論しています。
統一教会公式サイトから
記事の中で、統一教会元信者の「教会では、『反対する家族はサタンだから、話し合いに応じてはいけない』と教えられていました。」とのコメントを掲載していますが、当教会の教えに、家族が「サタン」(悪魔)であるというものはありません。
…過去から現在に至るまで「家族がサタンである」などという教えはありません。
http://www.ucjp.org/?p=12157
統一教会は「家族がサタンである」とは言っていないと主張しています。
これはある意味事実だと思います。
しかし「教会では、『反対する家族はサタンだから、話し合いに応じてはいけない』と教えられていました(週刊文春)」というコメントも事実だと思います。
要するに「反対者する家族=サタン」とは言っていないが,ほぼそれに類する考えを信者に吹聴しているというのが事実でしょう。
ここであげた二つの傾向はエホバの証人独特のものではありません。しかし大会での話を聞く限り,エホバの証人の中で一般化しているのが想像できます。
関連:エホバの証人 - 反差別法違反の疑い デンマーク
前々回のブログ記事のとき,Human Apostates の話を聞いて「ナチス党の演説みたいだ」というコメントいただきましたが,デンマークの報道でも「この講演はちょうど1930年代にヨーロッパでユダヤ人に反対を唱える者がしていたような話だ」という意見が出ていたのが興味深いです。
to be continued.