面と向かって意外と聞けない疑問
気になる点があったので海外の掲示板で検索してみました。
そうしたらすばり聞きたい点が過去の投稿の中にありました。
大会の経験が全くの作り話の確立ってどのくらい?
http://www.jehovahs-witness.net/jw/experiences/217508/1/What-percentage-of-assmbly-experiences-are-total-fabrication
質問:大会の経験が全くの作り話の確立ってどのくらい?
わたしが小学四年生だったころの話なんですが,学校でちょっとした政治活動のようなものに関わるようになったんです。それは昼食時に鉛筆を販売して募金活動をするための”生徒会”というものだったんですが。…母は”政治”的なものにすぐに警戒して,わたしが”辞退”しなければなら理由を書き添えて「学校のブロシュア」を渡すようにしたんです。わたしはこれだけの話って思ってました。でも違ったんです・・
それから時がたち,主宰監督が巡回大会で若い人の経験を扱うために若者を探していると発表があったんです。それで,わたしの母がピンと思いだして,すぐに例の話(とりあえず母の考えた)をまとめあげちゃって,無理やり主宰監督に近づかされました。結局,母が全部わたしのために原稿をつくりあげました。母はその場にいたわけでもなく,ほとんど作り話になっていましたが・・
これって普通のことですかね?こういうことはありがちだと思うんですが,どのくらいの頻度でしょうか?わたしが思うに完全な想像の話ってのはないとしても半分以上は誇張された話になってると思うんです。
私が”真理”に新しかったとき,私の研究司会者が大会の経験に出たんです。前もって私はそのことを知らされてなかったんですが,司会者は私がこの世から出て証人に変化していく様子を語り始めたんです。
それを聞いた時,大体の部分は自分も認めてもいいとは思いましたけど,幾つかの部分は全くセンセーショナルな感じになるように語ってましたね。
たぶんあれは,最初は真実な話から始まってると思うんですよ。でもね,巡回監督とか地域監督に脚本家としてのライセンスが与えられていてね,もっと興味深く励みになるように作り上げられるようになっているんですよ。
決して全くの作り話じゃないんですよ。いつもかすかな真理の光がどこかしらにはあるんですよ。
大会のステージで語られる経験談というものはリアリティ番組(*1)と同じくらいリアルですよ。
(*1)素人出演者の自然な生活をマイクが仕掛けられた中で放映するTVジャンル。やらせという意味を込めてる。
私は聖書通読の習慣についてインタビューされたのを覚えてます。(なんでこんなのに出演したかなんて聞かないでね。とにかく出ちゃったんだから)その時の私の実際の研究の習慣はインタビューで期待されるようなものじゃなかったんですよ。だから”自分がこうありたい”という話を実際にそうであるかのように話すことになったんです。なぜなら司会者が言うには”これは単なるインタビューじゃないんです。教えるプログラムなんです。我々は兄弟たちにこうあるべきという姿を教えていることにもなるんですよ”ということだからです。
そしてその考えに基づいて,私は1200人の疑わない聴衆を前にして,作られた実話を語る結果になりましたよ。
ものみの塔協会は実際の出来事を調理するんですよ。励まさない部分は取り除くのです。例えばね,兄弟が今月の配布物を配布して研究が始まったという話をするとしましょう。でも聴衆にはその出来事がずっと昔の経験で何度かの訪問の後に研究は中断しちゃったとかいう部分は話さないのですよ。
私の場合は子供の立場で(ひとり親の父が二人の子供を育てていたので)何度もインタビューを受けましたよ。どのインタビューでも質問が用意されていたの。私は一生懸命それに答えるの。そうすると巡回監督か長老がわたしの答えを書き変えてくれるの。わたしが言ったことなんて一つもないわよ。だって実際の生活は理想からかけ離れていたもの。
パート2に続く