一昔前までの 日本の農村は
いとこ結婚によって血筋を守るのが
普通でした。
たまに 旅人が来ると
新しい血を入れたりもしたようですが、
親族内で結婚を繰り返していました。
そのためか、
成人出来ずに亡くなる弱い子どもや、
障害、軽い奇形 なども
しばしば生じたのでした。
父親の足の指も…
下駄や草履を🩴普通に履けない状態でした。
きっと、バランスを取るのにも
運動するのにも
幼少期には苦労した事でしょう。
何となく母に聞いて知ってはいたものの、
父の身体を時々マッサージしてあげる時に
私は父を傷付けないように
こう言ったものでした。
「お父さん、火傷でもしたんだね。それでくっ付いてしまったんでしょ?辛かったね…」
と。
すると、父は、少し気まずそうに
「そうなんだよ…」
と言ったものでした。
その時の私には
それが父に対する せめてもの気遣いの会話でした。
今 思えば
その事で 何か言われたり
不利なことも たくさんあったに違いないのですが、
愚痴、泣き言、ネガティブな思い出などを
一言と言えども口にした事はありませんでしたし、
会社でのこと、愚痴、問題なども
たくさんあったに違いないですが、
家族にこぼしたことも一度もありませんでした。
大企業の管理職として、
家庭で少しはこぼしてガス抜きしたい
と思った事は 無かったのだろうか…
と思った時に
今だから分かる、父の本当の強さ
そう、男らしさ なのでした。
男らしさとは、いかにも筋骨隆々で
腕力があり
女に対して傍若無人に振る舞う というような、美女と野獣に例えれば、ガストンのようなイメージかも知れませんが、
決してそうではなく
内面の、女々しさの無い、際立つ忍耐力の事なのだな、
と 今だから 感じています。
身体は弱いのに
精神力はピカイチ。それこそが男の中の男だったのだ、と。
子どもにとっては
そんなのは当たり前だと思っていましたが、父の身になって考えると
誰かにこぼしたい事など、山ほどあったに違いありません。
それをおくびにも出さず
いつも飄々と生きていた父が いかに偉大だったか、今なら分かります。
もう一つ 逸話があります。
母が私にこぼした愚痴が とても印象深く、忘れられない話です。
父と母は、会社の同僚の親が持って来た話で、お付き合いを始めたのですが、
母の印象は、父の見た目について、
顔はキリっとした真面目な男性だけれど
身体は小さくて頼り無さそうな男性だなぁと感じていたそうです。
父がどれほど内面が強い、賢い人か
母には まだ知る由もなかったとき、
デートで一緒に夜道を歩いていた時の出来事で、数人のチンピラ風の男達に からかわれ、絡まれたそうです。
母は、父がその時
男らしく 言い返してくれるのではないか
と、密かに思ったそうです。
「でも、その時、◯さん(父)は、黙ってじっと下を向き、何も言い返すことも出来ずにいたんよ…その時のガッカリ😞な気持ちは今でも忘れられないんよ。」
と、母が私にこぼした時、
まだその時の私は、父の不甲斐なさに
母と共にガッカリし、
なんて弱っちい父親だったんだろう…
と悲しい気持ちになってしまったものでした。
でも、今なら分かります。
数人のチンピラを相手に、下手に言い返しても、さらに面白がった彼らに、何をされるか分かったものではない。
薪が🪵なければ火は🔥消える という格言通り、
レベルの低い相手に 愚かにも立ち向かう価値は無いどころか、
父も母も、ロクな目には遭わなかったはずです。
咄嗟の判断さえ、父は真に賢い人だったのです。チンピラとまともに目を合わせたり、知らんぷりで逃げるような 奴らを刺激する行動もとらず、
ただ、その場で 奴らがヤジを飛ばすのに満足して過ぎ去るまで
ジッと下を向いて耐えたのです。
それでいい。
貴方は賢かった。
今なら父を褒めたいと思います。
いくらでも出てくる父の逸話。
これからも、それを受け継いだことに感謝して、強く生きて行こうと思います。
友達に恵まれて
私は幸せにやっていますよ、
お父さん。
温かいコメント、メッセージ、ラインも
一つ一つが花束💐でした。

