まだまだ長年の毒の蓄積、
遺伝子🧬の悪い方のスイッチを入れてしまっていた身体が
急激に人並みの健康になる、
という訳には行きませんでした。
子どもはできないか、
上手くいって一人 と言われた人間が、油断していたら三人続けて出来てしまい、
幼児三人の子育てに追われましたが、
よく疲れ果てて寝込みました。
子どもの誰かが風邪をもらって来ると三人に広がり、フラフラになった私に必ず最後はうつり、を何度も繰り返しました。
晒のオムツの洗濯は山のようにたまり、埃だらけになった時に、何度も実家の母に🆘を出そうとしては…一人で耐え、
39度の熱があっても、普通に起きて家事をしてましたね。
物心ついた時から、身体がしんどいのを耐えるのは私の得意技で、しかも、幼少期から中学生くらいまでの病気との戦いや、
二度の入院時の苦しみを思えば、なんてことはありませんでした。
辛いときには、とにかく掃除をサボってましたね。
どっちみち、
下積み時代の夫は安月給で、
風呂もない狭くて古〜い都営住宅に住んでいましたから、
汚くて当たり前だったので、とにかく掃除する気にもなりませんでしたし。
神田川 という歌のような生活でしたね(笑)
さて、料理本と首っ引きに励んだ料理は、というと…
子育てでいっぱいいっぱいで、料理にばかり 力を入れている訳にはいかなかったし、
大した材料も買えなかったし、
今でこそ水にはこだわっていますが、当時の不味い水道水で、普通の精製塩、白砂糖、安い醤油、安いサラダ油などを使って作ることが当然だと思っていましたし、
鍋はアルミだし(笑)
それでも、20代の女性としたら、かなりのレベルの料理を作れるようになっていました。
普通に定食屋さんにあるメニューなら、すべて そこそこの味に作れるようには なっていましたね。
まぁ、そんなレベルの話ですが、それでも違いましたね、ジャンクフードとは体調が。
いかに、
簡単ではあっても、安い材料ではあっても、自分で作る という事が身体に優しいのか。
体調が大きく違うのか。
それは、身をもって体験できましたね。
食べ物はたんなるガソリンじゃない。身体を変えるものなんだ。これを体感しましたね、ハッキリと。
そう、
たまにダウンはするものの、
無事な時には人並みに動ける
というレベルまで来たのは、本当に幸せな事でしたね。
逆に、まともなものを親が食べさせてくれる家に育ったら
今頃こんな神田川のような生活で、ただの主婦してないわ👊という親への恨みも抱いていた頃でしたね。
さて、22歳から33歳までは、比較的平穏な日々を過ごしていたのですが…
やがて
人並み以上に身体を酷使せざるを得ない状況が生じ、
また、私の身体は だんだんと危険な方向へ向かって行く事になったのです。
続きます。