実家は、空いている土地に小さな貸家を建て、それを家族持ちに限定して貸していました。
そこに暫く住んでいたファミリー。私の一つ下と、四つ下の2人の娘がいました。
すぐに仲良くなりました。
よく、上がって遊ばせてもらいました。
いつも、夕飯時少し前までお邪魔していました。
大抵は、今夜はうちは○○よ、
と、おばさんが嬉々として私に話すのです。
そのメニューは、
当時(昭和40年代前半)
ひじょうにモダンなものでした。
ポークソテーとか、チキン南蛮とか。ドリアン(ドリアのことを、そう呼んでいましたっけ)とか。
特徴は、毎食毎食、たくさんの油を使うこと。
そして、忘れもしません、
2人の娘は、今で言うアトピー、当時は 湿疹 と呼んでいましたが、それに苦しみ、
いつも独特なクサイ軟膏を全身に塗っていました。
さて、
実家の前の平家には、やはり高校の体育の教員の一家が住んでいました。
私より一つ上の 一人っ子男子がいました。
その家から、食事時に必ず聞こえてくる音がありました。
ジャーッと言う 油炒めの音です。毎日毎日です。
毎日手軽で、豪華に見える 炒めもの を作る家だったのでしょう。
そして、その家族は、三人揃って いつも大きなクシャミ🤧をしていました。
子ども心に染みついています。
アレルギー性鼻炎でしょう。
すさまじいフェックションです。
ご主人、奥さん、男の子。
一年中、マーチみたいでした。
その、前の家は、実家から10メートルは離れていて、お互い窓も閉め切っているのに、
聞こえてくるのです。
湿疹とクシャミ。
軟膏の臭い、油炒めの音。
強烈な印象として残っています。
そういう料理をする婦人たちが、妊娠中には全く別の食生活をしていたとは考えられません。人は急には路線変更しないのです。
私の母親も、
とにかく料理を作るのが嫌いで、自分で言うのだから間違いないのですが、ロクなモノを食べていなかった、との話をしていました。
私が生まれてからも、
おかずは、ハム、惣菜のハムカツ、店屋物ばかり。
私がこれほど病気人生になったので、貸家の2人と、前の家の一人っ子君が その後どうなったのかな…と
時々思いを馳せる事があります。
両方の家族は、私が高校生になる少し前には 引っ越していましたから。
どこで、どうしているのだろう。
元気にしているのかな。
そういう食生活って、そのまま受け継ぐのが普通だから、
次の世代は無事なんだろうか…
とはいえ、
私も、植物油を多用した食生活がいかに病気の根っこなのか、
その時 気付くべきでしたね。
不思議に思うだけで終わっていたのが残念です。
私も、三人の子どもを妊娠中も、子育て中も、ずいぶん植物油を多用してしまい、悔やんでいます。
長女はアトピー。
二女はアレルギー性鼻炎と化学物質過敏症です。