使命 !?  ⑦ | まめちゃん くらしを見直す!

まめちゃん くらしを見直す!

母親の胎内環境から既に悪く、乳幼児期から最悪な食生活で育てられたために 病気のデパートだった、生きているのが奇跡だと医者にも言われ続けて来た身体を、あらゆるセルフメディケーションにより作り直し中。きっとお役に立ちます!

まずは、
いきなり一人暮らしには抵抗があり…
というよりは、両親が心配し、

大学から1時間半ほど電車🚃を乗り継がなければならない所に住む叔母宅に、半年ほどお世話になる事にしました。


父親の末の妹である叔母は、
それはそれは 良くしてくれ、部屋も一部屋用意してくれ、
食事も 美味しい食事を🍽用意してくれました。

家具職人だった義理の叔父を支え、ソファーの皮貼りの手伝いなどもしながら、
完璧に至れり尽くせりの世話をしてくれたものでした。


叔母の料理は私の好みで、
何もまともな料理というものをしなかった母親と比べて
普通の家庭では こんなに美味しいものをお母さんが作っているのか!と驚いたものでした。


中はジューシー、
衣はサクサクのカツを揚げてくれたり、細かく刻んだ色んな野菜がぎっしり入った卵焼きを朝から作ってくれたり。


幸せな半年でした。
通学が大変だった事を抜かせば。順調にいって1時間半、つなぎによっては2時間かかりましたから。


10ほど歳下の従姉妹たち2人も、私をとても慕ってくれ、
その期間は 高校時代の健康も引きずっていて、比較的 平和な時期でした。





やがて、別の伯母(父の一番上の姉)が、カトリック教会⛪️が経営している寮を 大学から30分位の所に見つけて申し込んでくれ、
そこにお世話になる事にしました。


ところが、
その寮の食事は、本当に質素な一品料理で、入浴も一人あたり15分以内と決められており、
19歳の女子にとっては 快適とはいえない寮生活でした。


食べざかりの乙女たちは、
とても その食事には満足出来ずに、いつも誰かがケンタッキーを買って来たりして、
誰かの部屋でワイワイ食べていました。


ファストフードが都内には広がり始めた頃だったのです。


しかも!
夕食の時間が夕方5時半と決まっており、それより遅くなる人は表に記入して断わるシステムになっているので、
粗食なりに身体には悪くない
その夕食を断る日も増えていったのです。



さらに、
彼氏ができました。
コンパで知り合った今の夫です。



余計に、帰りは遅くなり、
夕食は、買い食いが主になりました。


ジャンクフードで育ったので、
ジャンクフードが美味しいのです。
まともな食べ物を食べないと
また中学生時代あたりまでの不健康に戻るかも…
などとは、
全くもって考えも及びませんでした。


仕送りも少な目だったので、
学生課に立ち寄っては、家庭教師のアルバイトを探して 掛け持ち、
帰りにジャンクフードを食べて帰る。
家庭教師が入ってない日にはデートするか、友人とハメをはずす。


ついには、
夕食は完全に断り、
すべてを外で テキトーに済ませるパターンになりました。


しかも、
オシャレに目覚めて
服やバッグ👜が買いたいあまり、食事には最低限のお金しかかけたくなくて、
ランチも学食で一番安い
具が少ない シャビシャビのチキンカレー🍛や、かけうどん
ばかりをチョイスしていました。


ただでさえ、
基礎がめちゃくちゃな身体に、
再びジャンクフードや安い食事ばかりを入れ込むようになった私の体調に、
またしても異変が発生したのです。


続きます。