外面的な美は 潔くあきらめて、内面的な美や品格だけで十分。
なぜ、美にそんなにこだわるの?
と よくいぶかしがられます。
その理由は簡単です。
人生の質が全く違う、変わるからです。
美しい女性は、世間のあらゆる場所で、ほとんどの人から、
ぞんざいな扱いを受けず、丁寧に扱ってもらえる、優遇してもらえる、バカにされない、
つまり、生きやすいのです。
人は残酷ですが、最初は外見から判断するからです。
たとえ老齢でも、美しい男女はぞんざいな扱いを受けません。
その熱い思いの原点は、
子ども時代の思い出の中にあります。
地元の公民館に付属した 児童公園がありました。
夕方まで そこで近所の子たちと遊び呆けていると、
必ず通りがかりの同じ紳士に声がけされたものでした。
「そろそろ お母さんが心配なさるよ。危なくなる前にお帰りよ。」
柔和な優しい声でした。
スラッと長身で、少しだけびっこを引いていたので、洒落たステッキを杖がわりについていました。
シャポー(帽子のお洒落な呼び方)をチョンと被り、色白の肌に 血色の良い唇だった事だけは覚えていますが、
顔立ちは、綺麗なお爺さん
という以外は詳しく覚えていません。
ただ、
若い頃は相当な美男子だったろうと想像させました。
巷で見る、風采の上がらない 清潔感のない ただの老人と全く違う その風貌に、
子どもながらも 必ずその声に振り向き、顔を見て会釈したのを覚えています。
敬意を持って扱われるべき老人でした。
もう一人、必ずその公園のベンチで一休みする老女がいました。
優雅な暮らしの象徴と言われた
「座敷犬🐕」を抱いていました。
かすかに記憶しているのは、
「私には子供が出来なかった」と 寂しそうに話してくれた事でした。
それで、体型も崩れていなかったのかも知れませんが、
おそらく70代くらいだったと思いますが、メリハリのある身体つきをしていたと記憶しています。
髪はベリーショートにしていましたが、大粒のイヤリングがとても際立っていて、似合っていました。
生活感があまりなく、違う世界からワープしてきたような雰囲気を持っている老女でした。
やはり、とても美しい女性でした。子ども心にも、彼女とたわいない会話を交わすのが楽しみだった記憶があります。
家に帰ると、当時生活に疲れていた時期の30代後半の母親が、化粧もせず、乱れた髪を軽くひとつにまとめた姿で迎えてくれたのですが、
あのお婆様の方が ずっと綺麗、ずっとステキ!
といつも思ったものでした。
見る人に 好ましい印象をいつまでも残す、ステキな、美しい男女というのは、いつの時代にもいるものです。
お洒落心と、手入れ、
話し方と、物腰、魅力的な笑顔。すべて兼ね備えた老人という、いつか目指すべき手本を
たまたま近所で見つけた その記憶が、幾つになっても残っているのです。
さらに、
美にこだわる理由、引き続きお話したいと思います。
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