日頃より日本女子体育大学ラクロス部への多大なるご声援とご支援をありがとうございます!
こんばんは🌙
かくです!
4年間書いてきたラストブログである、
「引退ブログ」を書かせて頂きます!
この4年間を振り返って、一言で言うと、
ずっと苦しい4年間 でした。
1年生の時。
学年責任者決めで、誰も手をあげなくて渋々あげて、リーダーになりました。
1番はじめに辞めちゃった、私の友達のすけは、
「同期に松岡修造が多過ぎて、4年間も生きていけない」
って辞めちゃいました。
これ、同期の知らない話。
(すけには秘密にしてね。)
それほど同期たちは自由奔放で、私はラクロスに熱中している余裕もなかったです。
同期での初めての試合だった、ウィンターステージ。
そこで、私は初めてシュートを決めました。
自分以上に喜んでくれる同期が1番嬉しかったなぁ。
年が明けて、上級生と一緒に練習するようになってからは、どんどん同期も私も元気がなくなっていきました。
そんな中、練習中、前十字靭帯断裂をしました。
この時、誰にも言ったことはなかったけど、
「良かった、休める、、、」
と思ってしまいました。
それほど、
辞めたい同期を1人で繋ぎ止めるのも、
同期の代わりに怒られるのも、
上級生の同期を見る冷たい視線も、
しんどかったから。
2年生の時。
同期で出来る最後の試合、あすなろは、手術のため、病室からインスタライブを見ていました。
やっぱり、苦しかったです。
みんな一致団結している中、やっぱり自分が独りであることを強く感じてしまいました。
リーグ期間中は、みんなが苦しんでいるのを見ていることしかできませんでした。
3年生の時。
前十字靭帯断裂から復帰して頑張ろうにも、1年生練習しかしたことがなかったので、上手くいかず、、、
また、膝の痛みと戦いながら我慢しながら戦ってきました。
そうしているうちに1年があっという間に過ぎました。
4年生の時。
4年では自分のために頑張りたいと思い、
「少しでもやりたいと思ったらやる!やって後悔する!」
と目標を立て、ポジションをMFからDFに変更し、懸命に取り組みました。
けど、やっぱり上手くいかなくて、
DFで自分だけ試合に出れなかった日体Bとの練習試合。
試合自体には勝てたけど、同期が喜んでいる中、上手く笑えませんでした。
教育実習を終え、後悔のないよう精一杯やろうと決意した中、アキレス腱断裂。
結局、目標を叶えることはできませんでした。
同期はメンバー入りしているのに、ベンチ外にいる自分。
リーグ中もずっと苦しかったです。
果たして、私は、部活に入って間違ってなかったのか。
それは、引退した今も分かりません。
これは尊敬する先輩から頂いた言葉なのですが、
「やりきれなかったり、満足がいかなかったり、
実績は何もないかもしれない。
けど、4年間続けたという事実があるし、それは努力しないとできないこと。
そんな自分を認められるのは、このあと何年後か分からないけど必ず来る。
今は、その日が来ることを信じるだけでもいいんじゃないか。」
はたから聞いたら、自分を守るための言葉に聞こえるかもしれないけど、
私はこの言葉に救われました。
こんな何も貢献できなかった私だけど、ずっとプレイヤーで居させてくれた日女体ラクロス部には感謝してもしきれないです!
同期には、もっと感謝でいっぱいです!
4年間ありがとうございました‼︎
けどやっぱり心残りはあって、、、
同期にお願い↓
同期へ
人生最後の部活動。
私は4年中半分の2年しか、ラクロスができませんでした。
ラストイヤーは全くラクロスができなかった。
最後はラクロスをして終わりたいな。
一生のお願い使ってもいいから、
かくのために同期みんなでラクロスしてくれませんか?





