日頃より、日本女子体育大学ラクロス部へのたくさんのご支援、ご声援ありがとうございます。
4年もりです🧸
本日は「引退ブログ」と言うことで、私の今の想いを伝えられればと思っています!
毎年上級生の引退ブログを読んでいましたが、自分が書くのはまだ先のように感じていましたが順番が来てしまいました😳
文章を考えるのが苦手で、いつもブログの内容を考えるのがギリギリになってしまうのは、引退ブログにおいても変わりませんでした😅
拙い文章ですが、読んでいただけると幸いです。
まずは4年間の事について振り返りたいと思います!
私が大学でラクロス部に入部したいと思ったきっかけは中学、高校でやってこなかった事をやりたいと思ったことでした。
私は飽きやすい性格なのか新しいことが好きなのか、在学中に退部することはしませんが、中学は吹奏楽部、高校は陸上部と節目で部活を変えてきました。
高校2年生の終わりからコロナが流行り始め学校に行けなかった時期に、ふたりはプリキュアを久しぶりに目にし、美墨なぎさちゃんがラクロスをしている設定だったことを思い出して、やって見たいと思うようになりました!
そこから夢であった体育学部があってラクロスができる日本女子体育大学に入学し、1人で雨の中、ラクロス部の体験に行ったのが私のラクロス人生の始まりでした。
入部した当時はコロナの影響でグラウンドを使用できる日が少なくzoomを繋げて朝みんなで体幹やキープ練習などを行っていました。しかし、対面の授業がある日は家が遠いこともあり、最初ちょっとだけ参加して抜ける日々でした。筋トレが苦手な私には辛かったですが、今となっては大切な時間だったのかなと感じています。
自主練では家の近くに壁あてのできそうな壁を探すところから始まり、キャッチを失敗すると後ろのフェンスの隙間からボールが道路に出てしまうのでヒヤヒヤしながら練習していました笑
グラウンドでの練習では、基本的には当時4年生のれおさんが1年生に付きっきりで教えてくださいました。2部練習が禁止されていた為、1年生の練習に参加したら同期と過ごせないのにも関わらず、私たちを教えてくださっていたことに凄く感謝しています。
徐々に戦術的なメニューや練習試合ができるようになってくると、チームスポーツをやったことが無かった私には動き方が分からず、チームスポーツの難しさを感じていました。
そんな中迎えたウィンターやあすなろではほとんど試合に出ることが出来ず、悔しかったと共に、今までチームスポーツをやってきていた子に勝てるわけないと諦めていた部分もあったなと感じています。
2021年11月13日この日、江戸川臨海球技場で上級生や同期のいゔ・えなが学習院大学との入れ替え戦に挑みました。
結果は僅差で勝つ事が出来ました。ルールもよく分からないなか応援していた記憶ですが、それでも本当に感動したし、チームの勝利に向かって、H・MDが点数を決めて、MDが走って、MD・BT・Gがゴールを守って全力で練習してきたからこその涙にかっこいいな私もグラウンドに立って感動してもらえる人になりたいと感じました。
2年生になり、部荷物や分析など任されることが増え始め、その分怒られた1年だったなと感じています。部荷物は重すぎて家の体重計に乗せたことがあり、10kg超えていた時には驚きました😲
2年生は慣れないことが多く多忙だったからか、あんまり思い出したくないのか、あまり記憶がありません笑
ですがその中でも覚えているのは、リーグ戦が近づいた際のAB分けでAに入る同期がいたり、リーグ戦でベンチ入りする同期が増え誇らしい気持ちとともに、自分に自信を無くす日々だった事です。
それでも頑張れたのは7月にあったBチームの練習試合で当時3年生ぶいさんからのパスを受けて初めて試合でシュートを決めることができた時、私以上に喜んでくれる姿を見て、私の為に多くのことを教えてくれて、喜んでくれる上級生や同期がいると思えたことでした。
そして3年生になり、1年生のTシャツ類の発注や分析班の活動において、上級生に確認してもらっていた立場から、確認する立場になり私自身の技術向上よりも任せれることへの責任が増えていくという感覚になりました。
2年生までは後3年『ある』という感覚が私の中であったと思います。しかし、3年生になり後2年『しかない』に変わり、自主練をしなきゃという思いや私の強みである持久力は誰にも負けないように走らなきゃと思う反面、もう1つの私の目標である保健体育の教育免許をとる為の授業が増え、授業と課題で1日が終わっていきました。授業が忙しいはただの言い訳に過ぎないと思っていたけど、行動に移せませんでした。
そして、リーグ戦が近づき私はBチームでの活動でした。心の中では薄々気づいていたし、下級生がAチームに入っている現状に悔しさもありました。ですが心のどこかでAB分けがされた事で、身の丈にあった練習ができるとホットした気持ちになる私もいました。
結局3年生でも1回もベンチメンバーに入ることはできませんでした。
毎回メンバーが発表される度に、入れなかった同期の泣き崩れる姿を見て、正直いつもBチームを引っ張ってくれている4年生が泣くのを我慢してベンチメンバー外の役割の確認に参加してくれているのに、3年が下級生まとめなきゃいけないのに、なんでまとめるどころか確認に参加しないのと思っていました。
この考えが正しいか分からないし、泣くほど頑張っていた姿も見てきた、だけど今でもチームスポーツである以上、ある程度の対応力は必要だと感じています。
ですが、私はいつの間にかチームのためにが主語になり過ぎていたのかなと最近感じています。
そして4年生。
4年生が私にとって1番同期の前で泣いた1年でした。
春にはコロナの影響でずっと行けていなかった合宿に行きました!
つま恋では2チームに別れて勝ち進み2位・3位という結果を得ることが出来ました。結果だけ見れば順調のように見えますが、私のいたチームは同期が少なく、モチベーションが下がっている2年生にどうやったらラクロスを楽しいと思ってもらえるのか、チームをどうやってまとめていくのかを話し合い辛いことも多くありました。
春合宿・夏合宿では常にコーチ陣がいて下さり、広いグラウンドで普段することの出来ない練習ができる喜びがありました。
しかし今年度部員数が少なくAB分けは無いものの夏合宿では、ある程度レギュラーメンバーが決まっている状況で、私はクリア・ライドの合同練習はほぼ見ているだけ、練習試合も選手のサポートがほとんどでした。そんな中サブメンバーも試合をやらせてもらえることにり、私は少しでも今までの成果を見せられるようにと思いポイント確認の円に入りました。
しかしメンバーの顔は暗く、ポイント確認ではほとんどの人が返事をしない。
せっかくチャンスをもらえているのに雰囲気暗くして、無駄にするの?と思っていたら涙が出ていました。
周りの同期からは急に泣くもんだから心配されましたが、こういう理由でした😅
そして迎えたリーグ期。
メンバーに入れるのは20人。
部員の人数は減ったけれど、昨年までにベンチメンバーに入った事のある3・4年生が18人。
+強みを持った成長が凄い2年生がいる中で正直自信を無くしかけていました。
ですが、諦めたくなかったですし、毎年ベンチメンバーに入れなかった4年生もいたけれど、下級生をしっかり引っ張ってくれて尊敬できる上級生だったからこそ、私もそうありたいという思いで練習していました。
正直AB分けがない今年度は見てもらえるチャンスは多かったかもしれないけど、レギュラーメンバーについて行かなければならない部分もあり、上手い3年生とコミュニケーションを取るのが怖いと思う時期もあったし、分析班の班長が私でいいのか、6on6の対が私でいいのか悩むことだらけだったけど、やるしかなくて、遅いかもしれないけど4年のリーグ期が1番ガムシャラだったと感じています。
同期の公務員試験の関係で玉川戦の際にベンチメンバーに入れてもらい、チームのおかげで点差が開き少しだけ試合に出させてもらうことが出来ました。
私の中でリーグ戦で試合に出れたのはこの1回でしたが、どこかで諦めていたら、辞めていたら、この1回も無かったわけで、はたから見たら代わりに過ぎないかもしれないけど、粘ってきて良かったなと思えた瞬間でした!
ブロック最終戦の東海戦では部員全員いる状態でメンバー20人に入ることができ、決起会で名前が呼ばれた時は本当に嬉しくて、もりになった決めては試合に出れてなくても、全学年に声を掛けられるところだよと教えてもらった時、下級生とコミュニケーションとるのが怖い時期もあったけど、自分からアドバイス出来ないと思ったら逆に下級生にアドバイスを求めたりして、話せるように意識して良かったと感じました。
入れ替え戦の農大戦ではベンチメンバーに入れなかったけど、4年間分析班を続けてきて、2年生からベンチ内の分析に入れてもらって、この日もベンチ内の分析をさせてもらって、選手の1番近くで少しでも力になれればという思いで分析して、いいプレーがあったら一緒に喜んで、声掛けて、試合には負けてしまったけど、私ができる最大のことは出来たのかなと思っています。
4年間通してラクロスの競技自体が、充実していたかと言われたら試合に出られていない部分では充実はしてなかったのかも知れません。
ですが、大切な同期と出会い、下級生と出会い、学連に所属させてもらって他大との横のつながりや試合を運営する楽しさを教えてもらい。今年は学生リーグ戦のパンフレットの作成にも中心で関わらせてもらい、そういう部分では充実した4年間を過ごせたのかなと感じています。
家族へ
試合で活躍する姿を見せてあげられなくてごめんなさい🙏
3年、4年とスプリングカップ来てくれて、私が出ないリーグも応援来てくれてありがとう!!
お母さんへ
毎朝4:30に起きる私に合わせて起きてくれて、お昼が必要な時はお弁当を作ってくれてありがとう!
お父さんへ
遠くまで大学通わせてくれて、交通費援助してくれてありがとう!
今年のリーグ戦全試合応援に来てくれてありがとう!
弟へ
入れ替え戦見に来てくれてありがとう🥰
同期へ
4年間一緒にラクロスしてくれてありがとう!!
下級生の頃、重い重いって文句言いながら部荷物持って帰ったり、皆でBBQしたりディズニーいったり、部活での思い出も、それ以外の思い出も同期でいっぱいだよ🥰
4年生になって下級生の時とは違う辛さがあって、沢山ミーティングしたり、夏合宿の部屋でみんなで泣いり楽しいことより辛いことの方が多かったけど、皆がいたから引退することが出来ました!
引退したけどこれからもよろしくね!!
下級生へ
自分は頼りない4年だったと思うけど、最後まで一緒に戦ってくれてありがとう!
りう、はな→人数少ない中、無理なお願いもしたと思うけど、1年間分析を一緒にやってくれてありがとう!
らん、はな→姉貴として一緒に活動できて楽しかった😆3人でユニフォーム着られたことは一生の思い出!ありがとう!
最後に執行部へ
日女体の応援に沢山来てくれてありがとう!!
下級生と一緒に応援してくれてる声、ベンチまで届いてました!
2年生の時はここまで仲良くなると思ってなかったし、幹部の時も広報以外で話したことある人少なかったけど、やっぱりキャンプからだよね!
みんなと仲良くなれて、お互いのリーグ戦を見に行ける日は見に行って、すごく楽しかった!
試合の運営の部分は自分は主に当日の運営しか参加してなかったし、最後の方は役割なかったけど、皆に会いたくて運営参加して、ここまで学連を好きになれると思ってなかったから、みんなのおかげです🥰
今までありがとう!!







