テッド田辺さんとのお別れ | デジタルなアナログ~JWA東海プロレスリングアナ藤本のブログ~

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愛知、名古屋で活動30年超!
ローカルプロレス団体の老舗、JWA東海プロレス。
プロレスのことも、そうでないことも、
リングアナ藤本がデジタルなブログに書き綴ります。

今日、
先日逝去されたテッド田辺さんの葬儀に参列しました。

これまでJWA東海プロレスが大変お世話になりましたし、
ワタクシも会場で何度もお話させていただいた方ですので、
脇海道代表と、テッド三矢レフェリーとともに行きました。

ちなみに三矢レフェリーは、
田辺さん公認の“テッド”であります。


式については、
正直、暗い気持ちでいっぱいで、
あまり事細かにかけませんが、印象に残ったことをいくつか。

ありとあらゆる団体、レスラー、関係者から
弔電、お花が届いておりました。

田辺さんのお棺に花を手向けるために並んだ時のこと、
ふと来賓席に目をやるとグレートサスケ選手の姿が。
これを見て私、グッときました。
このままでは涙がこぼれるのが分かったので、
前を向いたのですが、
先に花を手向け終えた選手が泣きながらこちらへ。
それを見て、私、つらかったです。

出棺の際には、
サスケ選手、TAKAみちのく選手、新崎人生選手が運び手に。
そのシーンにはジーンときました。


最後に私の田辺さんの思い出を。

前にも書きましたが、

自分は今から15年ほど前、大学生時分ですが、
名古屋でみちのくの試合があるたびに、
大学の知人を大勢誘って観戦に行っておりました。
「名古屋商科大学みちのくプロレス研究会」と勝手に非公認で名乗って。
20枚ほどまとめてチケットを購入し、
みちのくプロレスを応援しておりました。
チケット予約のため、
田辺さんの自宅?事務所?に電話をして、
田辺さんと直接しゃべらせていただいたときの感激は忘れられません。

その自分が、
いまリングアナをやり、
興行で試合を裁いていただけて、
試合開始時には「レフェリー、テッドータナベ!」とコールできるという、
この状況は非常に感慨深く感じておりました。

今年の1月興行のこと。
脇海道代表が小仲ペールワン選手をヘッドロックに捕らえ、場外を1周。
脇海道代表による「小仲選手とのアタマゴッツンコ」ムーブに
観客が沸き返る中、代表の次の獲物に選ばれたのが、
お客様で来場中の田辺さん。
私も、
「お気をつけください!田辺さんお気をつけください!」とアナウンスし、
田辺さんも「気をつけてるよ!」と苦笑いしながら答えてくださいました。
あの時絡めたのは本当にうれしかったです。
もっと、いろいろお話したかったです。


まだ、学生の頃、みちプロ応援してた話してないっすよ、田辺さん。


謹んで心よりご冥福をお祈りいたします。