5/4パンクラスMISSION冨宅選手インタビュー「第2次UWFの真実」はホントーに聞けたんかい | デジタルなアナログ~JWA東海プロレスリングアナ藤本のブログ~

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さて、
先日5月4日138タワーパーク大会で行いました、
冨宅選手の公開インタビューについて少し書こうと思います。

いやぁ、緊張しましたよ、ホント。
冨宅選手と自分が試合をするかのような緊張感!というと大げさかなぁ。
でも、ワタクシはそれぐらいの気持ちでした。
だって、インタビューが、
「第2次UWFの真実」なんてタイトルがついてるんですもん。

まずですね、
インタビューにする前に、
いろいろ資料など集め読み漁りました。
ビデオも見返しましたよ。冨宅選手のデビュー戦とか。

でね、いかに、いかに!UWFという言葉が、
ワタクシや同じ年代のプロレス者にとって大きいものか
ということを実感しましたね。

あの新日本と全日本しかない時代に、
巻き起こった大ムーブメント、UWFですよ。
あのテーマとともに頭ん中に焼きついてますよね。

で、
その時代を生き抜いてきた冨宅選手に、
根掘り葉掘り聞こうってんだから....
怖いもの知らずですよねぇ、ホント(汗)

しかし、持ち時間は5分という厳しい設定だったんです、実は。
で、これはもう、一番聞きたい部分を聞こうと思いまして。
聞いたわけですよ。
というわけで、
一部要約して紹介します。
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<その1>
藤本「なぜUWFを選んだのですか?」
冨宅「あこがれていた選手がいて」
藤「どなたでしょうか?前田さん?」
冨「佐山聡選手ですね」

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<その2>
藤「第2次UWFが崩壊のポイントとして、90年12月1日長野松本大会がありましたが、何かそれを感じさせる雰囲気ってありましたか?」
冨「自分はまだ下っ端だったので、何も分からずで。いわれるがままですね」
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<その3>
藤「90年12月7日には前田選手の自宅で会合があったと聞きました。そのときはどんな雰囲気だったんですか?」
冨「...とにかく重い雰囲気でしたよねぇ。みんなが座になって。自分はその後ろに座って」
藤「で、どんな話をされたんですか?」
冨「前田さんが1人でも反対するんだったら解散でと」
藤「反対したのはどなただったんですか?」
冨「その時は宮戸さんと...安生さんもかな」

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<その4>
藤「パンクラスで活動中に、前田選手から『ボンクラス』発言というのがありましたけれど、どう受け止められていたんですか?」
冨「...会社の上の人同士で色々あるなぁと言うぐらいで。選手同士での交流はありましたから、特にどうってのはなかったですね」


などなど、
短い時間でしたが、
非常に濃い時間だったと思います。

このインタビューが入ったDVD、
近々発売いたしますので、
ぜひ楽しみに待っていてください。